2011年4月17日(八段語録1286)
復興への道(3)
もう既に、心臓の病から復帰した北山事務局長が動き始めていました。入院して一ヶ月近く過ぎましたが、元気な顔を出してくれました。素晴らしい人材が、宮城県本部に集結しています。それを取りまとめて菅野師範が基盤を作っております。まさに、この体制は最高の人事であると自負するのです。この執行部を中心に数百名の道場生が動きだし、指導員やそれに準ずる人達の育成がなされて行っているのです。
しかも、報告によると、この大災害の期間、退会者は少ないのです。そして、今日道場は新たなる震災後の記念すべき出発日になったのです。今回も感じるのは、道場の指導者であればある程、癖が出るのです。原則通りには行かない結果が現れてきます。
「誰それ指導員は、現場での指導は最高ですが、上司にしっかりした報告をしません。原則をしっかり守らなければならないと思います。」と的確な判断をスタッフは私にしてきます。そのような指摘に対して、私は、「役割は何か、道場生の指導だとしたら、指導が一流ならしっかり頑張って貰いましょう」と話すのです。もちろん、私が責任を持って引き受けているので最後まで面倒みるのです。報告できないのは、その人の育った環境からも来るのです。
私は、現場の判断に全てを委ねるのですが、最終決断を求められた場合には、多くの人を活かすようにするのです。殆んど人を否定するという事をしないのです。これから、膨れ上がる組織を操るのです。史上最大の組織まで道場を成長させようとするわけですから、多くの人の強みに焦点を置くべきであると感じているのです。
さて話は変わるのですが、震災後、どのようになっているのか家族に震災の実態を子供達に見せたいという妻の千順さんからの提案がありました。母親も含めて家族7人で被災地めぐりです。仙台新港を目指して、車を走らせました。途中の工業団地では、大きなトレーラが何十台も被災していました。瓦礫同然に放置されているのです。津波の巨大なエネルギーに寒々してしまいました。もちろん、倉庫も社屋も津波に飲まれて跡かたも無いのです。
更に、車を多賀城方面へ繰り出します。ジャスコ付近には車が未だに瓦礫のように横たわっていますし、津波で浸水した家々の家財道具が、粗大ゴミ置き場に集積されているのです。車のハンドルを七ヶ浜方面に切ると、海に近い住宅街は、土台だけ残し、全てが流されているのです。海水浴で来た浜は、瓦礫でゴミ捨て場のようでした。
被災地をあらためて巡回した心境は、大変であるという一言に尽きるのです。そして我家でも地震で壊れた風呂場が今日復旧するのですが、それ以外、壁中にひびが入っているので、直すには一ヶ月近くかかるのです。やはり、大変であるという一語なのです。地域と道場そして我家の復旧をこれから積極的に推し進めていかなければならないのだと新たなる決意をするのでした。