2011年4月13日(八段語録1282)

復興への出発(13)

 まだ、私の首相への怒りが収まらないのです。リーダーシップの欠如、信念の欠如、そして価値観と原則を持つ人物の不在という事になるのです。大震災を幼稚な政治的道具にしているようにも見えてしまうのです。政治の素人の私にも分かってしまうのです。
 さて話は変わるのですが、78歳で元気な老人を見つけるのです。石原都知事であります。実に、テキパキと行動しているように見えてしまうのです。この大震災に関しても、ものを申しているのです。その背景に、この大震災に対して、的確に振舞っているようにも思えるのです。経験に裏付けられた指導力に、希望を感じる事ができるし、祈り抜いた道義的な政治的価値観を抱いているような行動に見えるのです。
 管直人首相と対照的に見えるのは不思議なものです。しっかりとしたリーダーシップ、強い信念、そしてしっかりとした価値観と原則を持った経験豊かな老人として映るのです。それが対照的に私の眼には映るものですから不思議なものです。
 今のこの時に限って、現実には、完全と言うべきリーダーシップの欠如であると断言してしまうのです。政治の舞台に立つべきではない人達が大勢いるような気がするのです。熱心に動き回れば回るほど、ピエロのような存在にしか見えないのです。150名の民主党の新人議員は何をしているのでしょう。未だ仮免許であるというのでしょうか。多くの人は真面目であるという事は認めるにしても、まるっきり経験のない素人集団にすぎないのです。
 誰が、この大震災に対して、的確な指導力を持って対応する人物がいるのだろうか思うのです。この国の運命を左右する境目に誰もリーダーがいないのです。地震、津波、原発事故に関して、全てに関してタイミングを失い、的確に対応するという神秘的な指導力を失ってさえ見えるのです。
 私達が必要とする指導者が出てこなければ、日本は方向性を失ってしまうのです。日本にとって必要な指導者が出現しなければならないのです。日本国民を納得させる道義の権威者であり、価値観の献身者であり、行動への信奉者でなければならないのです。
 今日で首相批判も三日目です。こんなに日本の指導者に文句を行った事は未だかつてありません。今の中国でしたら、すぐに牢獄行きであると確信してしまうのですが、日本では未だそれはないようです。そのような気持ちで、今日も歩むものですからよい事などありません。それでも、楽しみにしていた、水曜日の壮年の稽古が始まりました。
 一ヶ月ぶりです。お互いの無事を確かめながら、重責を担ってこられた壮年のご苦労を聞かせていただきました。今は、壮年の方から多くの事を学んでいるのです。先頭に立って、会社を切り盛りされている様子や、家庭に対してコミュニケーションを取りながら大切な家族との絆を結ばれた話等、私がはっとさせられる会話でした。