2011年4月7日(八段語録1276)

復興への出発(7)

 東京の夢の島の文武青少年文化施設に一泊して、成田空港に向かいました。アメリカの茂奈さん宅へ疎開していた子供たちのお迎えです。到着ロビーで少し日に焼けた顔が印象的でした。アメリカは、カルフォルニアからラキンタへ向かい、ラスベガスで一週間程過ごし、グランドキャニオンを始め、塩の湖や風光明美な観光地を回ってきたということでした。
 聖義は、途中身体を壊し、全身麻痺するような病気にかかって何日間か唸り声を上げながら苦しみ抜いたということでした。外国で病気になるのはかなり心細いようで、多くの人に迷惑をかけたと話していました。
 順香は、広い世界に出たことで、大学で勉強している事に対する新しい何かを掴んで帰ってきたようです。出発する前は、大学に行く意義を感じることなく、方向性も出ていなかっただけに、何か前進しようとする兆しを見る事ができたようです。
 文誉は、現地の人との交流で、英語の重要性や、国際人としての自覚を持つ方向性を考えたようです。彼女の場合、一年間精神的に苦しんだのでした。結局、大学一年生をもう一度始めるのです。すっきり今年から一年生を迎える事ができる自信にみなぎり溢れていました。
 茂奈さんの場合、聖義の不甲斐ない病気の姿を見て、介護するよりも裁き切っていたようです。頼りない夫を直視したわけですから当然なのですが、それでも、そんな気持ちではいけないと、心を改めて支えるような気持ちを深めたということでした。
 帰りの車の中で、会話が多くなされました。夕方に成田を出発して、仙台に12時頃到着したのですが、仙台市内を通過した時に、停電で電気が消えているし、広瀬通りを通過した時には、タクシーの姿がなく、路上で多くの人達が騒いでいる姿に直面して何かあったのかなと単純に思って家に帰ったのでした。
 家に到着して、妻が玄関から勢いよく出てきて、地震があったというのです。それもかなり震度6強の強さであったというのです。そう言えば、市内に入って消防車や救急車がけたたましく走り去る姿もあったと思い返すのです。
 すぐに、母親の無事を確認し、家の食器棚の片づけを済ませて、消防服に身を包んで、宮城野消防署に直行です。署では、火事への対応、水道管の破裂、都市ガス漏れ、部屋に閉じ込められて、でる事ができないと等、緊急連絡がひっきりなしでした。
 消防団の400名の出動確認と車両の移動状況の連絡を取りながら、救急現場への指示をしていました。4時間余りの緊急事態を乗り越えて、家に帰ったのは明け方近くなっていました。そんな衝撃的な一日でした。