2011年4月5日(八段語録1274)

復興への出発(5)

 朝から、メールが入ってきました。北山事務局長が退院したという事です。大震災の真只中、そんなに入院が許されるわけではないという事です。玉突きのように自宅療養に回されるという事です。親父の退院も同じことでした。
 それから、菅野師範に電話をして、宮城県本部のこれからの方向性について意見を交わしました。指導者としての自覚がありありです。今後は菅野師範に宮城県の事を委ねながら、首都圏と大阪府に重点を置いて立ち上げを手伝っていかなければならないと自覚させられます。
 それで、今日は一日瞑想にふけるのです。稽古も大震災があってから不足していますし、まずは、私の精神を高めようとする一日になりました。つまりは、調整日という事です。何時間も、暖かい春の日差しの中で、あらゆることに思いを巡らすのです。あっという間に三時間が過ぎてしまいました。色々な事が思い浮かぶのです。その中で少し書いてみます。
 今回、首都圏と大阪でリーダーを選んだのでした。何を観て選んだのかと言うと、本部道場で昔稽古した強みを生かして、その時の信頼関係を強みとして選んだのでした。これからの手塚グループの柱になるべき人物です。いい加減な選択はできないのです。そのような意味では、昔稽古したという強みを生かしての指導者選択なのです。
 第二に、今手塚グループの置かれている状況を観て、行うべき重要な事は何かということを考えたのです。そして、あらゆるニーズを組み合わせての行動でした。手塚グループにあるのは、組織の理念なのです。この理念は他の道場にはないのです。一致団結できるだけの組織力を保つのにふさわしい内容なのです。
 第三に、今回選んだ人達は、信頼できる人達なのです。決して不真面目ではないのです。リーダーなのです。つまり模範となるべき強力な要素を持っているものです。特に道場生は指導者を真似するのです。それにしっかり答えるにふさわしい人物が選択されたのです。
 これらの人達の選択に関しての一つの指針は、「息子を任す事ができる人物である」ということでした。人物の適切さは、そのリーダーが成功するならば、若い人たちが見習うという事なのです。ですから、息子がそのようになって欲しいと考えてしまうのです。このような単純な事が、私の究極の判断基準になるのです。
 そのような意味では、今の宮城県本部には、息子を任す事ができるのです。事実任せてきました。これから、首都圏、大阪、そして各都市の責任者に息子を任す事ができるかを中心に検討して行きたいと考えているのです。もう既に多くの都市で息子をその人の下で働かせたいと考えているのです。