2011年4月4日(八段語録1273)

復興への出発(4)

仙台市内にある長命ケ丘針生・船田病院に到着です。もう親父の病状も良くなってきているのです。退院の話を聞きに行くのです。病棟に入ると、親父は少し眠そうにしていました。親父の表情は、もう昔の厳しい表情はなくなり、幼子のような純粋な瞳と表情をしているのです。我が家の次を託すような願いを受け取る事ができるのです。
もう既に、八十四歳ですから、家督としての引き継ぎをしているかのようです。私は、親父を最後まで世話をするという心構えができているのです。幼い私をあらゆる状況の中、今まで育ててくれた親父です。青春時代の私のわがままも許してくれました。家を飛び出して修行の道へと歩んだ息子の生き方に、何の文句も言わなかったのです。この親父で本当に良かったという実感なのです。だから最後まで世話をするのです。
退院を迎えようとする親父の横顔を眺めると、親父の背中を観て今まで成長してきたのだという事を悟るのです。そしてこの親父で、更に大きな人間として成長したのだという実感なのです。これが、親子に関わる、親の私に対する教育方針であったのだと考えるのですが、今にして思えば遅すぎるのです。しかし、今からと改めるのです。
しかも、今の私には、親父の真剣さ、意識、能力において、親父に似てきているのです。息子として親から大きな影響を受けてきたという事とは明白なのです。もっと親父から学びたかったと思うのです。そして、今真面目に実践していることの全ては、親父が教育したい事の全てであると感じるのです。
病院を後にして、畑の事が気になるので、根白石に向かいました。風が少し強いのですが、作物を植える土壌を作る為に、石灰を撒くのです。身体全身真っ白になります。妻は、畑の野菜を収穫しています。春という季節に相応しく、日差しが暖かく迎えてくれます。畑で妻と農作業をするのですが、とても幸せなひと時です。
体中石灰だらけなので、近くの温泉に立ち寄ってきました。源泉かけ流しの湯でした。すっきりさせながら、我が家に到着です。そして考える事は、親父の体調維持のためにどのようにしたらよいのかという事を考えるのです。部屋を一定の温度に保たなければならないという事なので、今まで我が家に入れたことのない空調設備を購入する事にしました。
親父の体調を崩した原因が、冷えすぎた事から来る風邪でした。なるべく、病院と同じように適温の部屋にしようと考えたのです。親父の健康を、当然お金では買えないので、早速手続きに入りました。親父思いの大切なひと時でした。