2011年4月2日(八段語録1271)

復興への出発(2)師範としての責任

 今まで私が心掛けてきた事は、全スタッフ、道場生が一丸となって、師範は全員が指導者として見なしてきたのです。一人一人の能力を引き出し、そのタレントを持った人々が、師範と同じように、責任を持つ組織を作らなければならないと思いました。
 師範としての責任とは、自らの任された役割への責任、道場全体の成果への責任、そして最も大切な事は、社会への責任を目指すという事なのだと思ってきました。そのような意味では、師範は、大いなる成果を上げる事に全力を傾けなければならないのです。
 師範の責任とは、道場以外に向かって対処しなければならないのであって、かつ道場に対するものでもあるのです。地域社会に向かっては成果に対する責任を持つことであり、道場生に対しては成果を上げる為に全力を傾ける体制を築く事なのです。
 師範の責任とは、成果を上げる事に責任を負うだけでなく、成果を挙げる上で必要な事の全てを行い、それらの成果に全力を傾けていく事になるのです。師範が、稽古だけして体を動かせばいいということではないのです。スタッフや道場生に必要な権限を与えていかなければならないのです。
 もし、必要な権限を与えていないとするならば、すぐさま権限を与えて、同じ責任を持って行くか、師範は、師範以外の部門に就くしかないのです。よく見受けられるのは、指導者らしく前に立って優越感を感じるような指導者がいるのです。あまり意味のない事です。
 今日は指導者論から入りました。あくまでも私の意見です。いつも考えていることを何度となく書き記しているので、また始まったと思うかもしれませんが、新鮮な感動と共に読んでください。そのほうが私としても力が入ります。
 ところで、今日は朝から、地震保険の調査員と一時間余りの時を過ごしました。風呂場のタイルが割れて、悲惨な状態になっているのです。その内容を確認して貰ったのと、外壁のヒビを、数十か所に及ぶチェックをして貰いました。相当な個所でしたが、一部損壊という事で、上限が5%と決められていて、我家の地震保険上限は1000万ですので、50万円の保証ということでした。
 更に、家財道具に保険がかけられていたのですが、私のパソコンの損傷と、コップ、茶わん類だけでしたので、これまた家財保険の上限が150万円でしたので、7万5千円という事になりました。保険を今まで45年かけているのです。かけ捨てた金額が戻っても来ない保証でした。それでも幾らかの掛け金が戻ってきたと喜ぶしかないと残念に思ってしまいました。人情劇場なのです。