2011年3月31日(八段語録1269)

東北・関東大震災

 月末の重要な時を迎えて、どのように被災地の復興と発展を試みるかに私の決意があるのです。私達は生命をもって生かされているわけですので、五感的な認識をしなければならないという事になるのです。かつて大学で学んだ事とはまるっきり正反対の行動をしなければならないと教えられました。学問や理論の世界では、五感的な認識は感覚にすぎず、疑わしきもの、捉えがたいもの、不可思議なものとして教わったのです。
 つまり、五感的な認識は理性的ではなく、趣味の世界であり、それを抜きにしても支障がないという価値判断だったような気がします。遠い昔の話です。でも、今現実に、驚くべき大震災が起きてしまったのです。理屈ではなく、現実そのものなのです。被災地は地獄のような様相を呈していたのです。もう学問や論理の対象ではないのです。全て現実に起きているという五感の対象なのです。そして、私は、この大災害を直視して、全身が身震いと、身もだえの実感してしまった内容として襲ってきているのです。
 この悲惨な状況を、被災地で当事者になって実感するにつけて、地域と関連させたり、東北地方として関連させたり、日本国家、あるいは世界という事と連結させなければならないと思うのです。全体でカバ―しなければ悲壮感だけが漂うのみなのです。
 デカルトは、三百数十年前に「われ思う。ゆえに我あり」と言った事は余りにも有名な事です。しかし、この二重、三重の災害を目の当たりにすると、この時代を共に過ごすにつけ、この大災害に直面しているのですから「われ悲しむ。ゆえに我あり」という表現が、今の私には的確に感じてしまうのです。
 マスコミは、この大災害の現実を、全て映像として流します。実に形態的なのです。そして、この大災害の現実を扱うとすると、分析も必要でありますが、最も直感的な事は全身全霊、五感で感じてしまうのです。この惨状を、私達が十字架として背負い、地域社会はもとより、グローバルな観点で、緊急に復興策を提示しなければならないと思うのです。
 このような気持ちを背負って、東京に夜行バスで行きました。要件は、新しく手塚グループに参加する師範との打ち合わせなのです。後ろ髪を引かれる思いが高速バスの中で感じてしまうのですが、私ができる分野での復興を心掛ける以外にないという結論を出すのです。会長と私を含めて5人の師範が顔を合せました。この手塚グループを背負う責任を持つものが、これからの復興に努力するという意識になります。
 これから、復興なのです。成長なのです。そして均衡であり調整であり統合の結果として、発展をさせなければならないと決意なのです。会長もこれらのメンバーに関して喜んでくださいました。最も悲惨な被災地からの勇気ある行動という事になります。最悪を最善に変える決意での出発です。