2011年3月17日(八段語録1255)

東北・関東大震災

 この日になって、妻から家の食糧事情を聞かされました。もう既に、備蓄はないというのです。更にガスが来ないので、煮炊きができないのです。簡易コンロとボンベの調達、灯油の調達、仙台駅前の朝市での食糧の買い出し、この事で家中がフル回転しなければならない状況になりました。昨日、雷を落とした私だけに、どうなることかと不安に思っていましたが、子供達は快く引き受けてくれました。さすが子供たちと頼もしく思ったのです。
 そして始まったのが、灯油の調達です。苦竹のコスモ石油には、長蛇の列がありました。それでも、雪の降りしきる寒い中、子供達は並んで調達してくれました。次に、朝市に出かけたのです。野菜から穀物類まで、これも子供たちが長蛇の列に並んで仕入れてくれました。私は、煮炊きできないという事なので、簡易コンロのボンベです。それも、しっかり私と子供たちがしっかり手に入れてきたのです。
 ちょっとした、親子の溝が入りましたが、「雨降って地固まる」のごとく、子供達は一生懸命手伝ってくれるようになりました。妻の願いに完全相対です。というのも、私達家族だけではないのです。下宿人のお世話もしなければならないのです。それもしっかり対応できる家族の結束が計られた事になるのです。
 そこで、家族の役割について考えさせられたのです。一緒の事情と信条が伴えば、家族は健全になるという事です。気持ちが通じれば、不確実性さを、カバーする事ができるという事なのです。この観点からしても、家族を結束させなければならないと痛切に感じさせられたのです。
 直接的には、家の事をしっかり対処して、妻の願いに答える事ができたという事なのです。この日は、家の事で一日中走り回ったという事になります。その結果、何よりも、妻の足を引っ張らずに済んだ事になるのです。その為に、再び、子供たちとの意思疎通を図り、一丸となるという事に努力すべきであると痛感させられたのです。
 七日目にして、我家の事に集中する事ができました。振り返って見ると、この大災害の為に、親子がバラバラになっていて、気持ちが相通じていなかったという反省点を残しました。しかし、今日のような動きをみると、家族ほど頼りになるものはないと心の底から思うのです。