2011年3月16日(八段語録1254)

東北・関東大震災

 今日の気候は、各段に寒さを増しているという状況です。季節外れの大雪が舞い散る中、救援活動に邁進しなければならないと思うのです。仙台市の消防団にも指示がきました。疲労もピークにあるのと、寒さが直撃しているということから、今日は午前9時からの活動という事になりました。
 高橋団長、加藤副団長と私が、宮城野区消防署に詰める事になりました。疲労状態は、私にも及んでいるのです。というのも、昨日、電気も開通して、心に安堵感広がったのでしょう。わが子たちが、大きな声で歌を歌うやら、任天堂の体感できるゲームウイーをしていたのです。こんな緊急な時に馬鹿騒ぎをしているとは、何たる事かと怒ってしまったのです。
 私の場合、宮城野区消防署に詰めていますから、悲惨な現状が刻々と上がって来るのです。蒲生地区、荒浜地区など、大津波で被害にあった状況も、現地調査をする中で、目に焼き付いていた時ですから、私の怒りも相当のようだったのです。子供達は青息吐息で、鎮痛になり、黙ってしまいました。
 子供たちの気持ちも分からないわけではないのです。不自由な暮らしの中で、何とか励まし合おうと、聖義を中心に、二人の娘が一生懸命であったのです。その心に、私が水を差すようになったわけです。それでも、数時間後には、理解した様子で、家の事を手伝っていました。実際、子供達は、ボランティアで地域に奉仕するわけでもないので、私とのギャップがあり過ぎた形になったのです。
 そのような中、アメリカの茂奈さんの家から、日本がこれだけ大変なのだから、子供たちを預かってくれるという提案がありました。つまり、被災地からの疎開という事になります。子供たちの現状が、私達夫婦と余りにも意識が違うのと、学生であるという事、更には、茂奈さんの家庭が心配でアメリカに戻したいという事も含めて、提案を受け入れたのです。そして、しばしの間アメリカへ行くようにと決断をしたのです。
 家庭内でも、感じさせられた事は、気持ちを通じ合わせるという事と、バランスの問題なのです。親の気持ちだけを強調する事は、家庭の亀裂を生じさせます。その結果、子供たちを犠牲にするという誤りを生じさせてしまうのです。救援活動が明日の子供たちを犠牲にしてはならないと感じさせられた次第です。