2011年3月15日(八段語録1253)

東北・関東大震災

 今日も宮城野区消防本部に朝6時に駆けつけるのです。道場生の安否が気がかりなのです。それ以上に、大津波で被災した家々を回る中、地獄絵にも似た惨状に、消防団としてしっかり役割を果たさなければならないと心に誓うのです。地域のお世話役という事を自分なりに反復するのです。その目的から考えていく自分があるのです。
 目的は、この惨状を救済ならないという事なのです。この宮城野区の惨状を直視して、誰もが果たさなければならない役割を粛々と実行していくことなのです。私が道場の指導者であると同時に、社会の為に生きなければならないとする自分の信念がよぎるのです。自分の存在場所を、この消防に今は求めなければならないと思うのです。
 自分の目的として有効な定義は、ただ一つという事を心に定めるのです。何もかもできるものではないのです。人間一人の能力など、微々たるものでしかないのです。しかし、この惨状を救済するのは、私たち一人一人の意識であると考えるのです。この地域を守らなければならないという意識だけは持たなければならないと心から思うのです。
 活動するなかで、今日になって、やっと電気が通うようになりました。暗闇に光が灯る事がどれ程希望をもたらすか肌で感じるのです。それでも、水道とガスは未だ復旧の目途さえ立っていないのです。近くの原町小学校の前には、何百人もの住民が水を求めて並んでいます。小学校の校庭に緊急用の飲料水が300トン貯蓄されていたのです。
 それでも、生活飲料水を求めて、長蛇の列なのです。私にもできる事がないかと考えている中、我家には、井戸水があり、電気さえ通じれば、モーターでくみ上げる事ができるという事を思い出したのです。早速近所にお話しして、飲料水の確保に活用して欲しいという事で回りました、それでも不自由な生活に変わりはないのです。
 目的は、地域を守らなければならないという事を、しっかり心に留めながら、地域の為に活動するという事と、僅かばかりですが気が付く事を率先して、行動していく事であろうと感じるのです。この二つの意識が、自分の消防団活動としての在り方であると思いながら、今日も精一杯活動したのだと、自分に言い聞かせているのです。