2011年3月14日(八段語録1252)

東北・関東大震災

 5時起床、6時宮城野区消防本部到着、早速署でのミーティングがありました。今までは生存者を見つける捜索でしたが、今日からは、ローラー作戦を展開して、検証した家には張り紙をはり、遺体の回収も徹底してやるということでした。それでも、当然、生存者の捜索に関しては希望を捨ててはいないのです。
 さらに、消火活動を中心としては、仙台港の石油コンビナートの消火活動に何十台の消防車が近くまで到着していくのですが、道路が遮断しているので近づけないという事なのです。有毒ガスも多量に出ているので、更に近づけない状況があるのです。震災の後の状況なので、仙台市各地で火災が発生しているので、そこにも消防車の出動がおびただしくあるのです。
 ところで、本部にいると情報がありとあらゆるところから入ってきます。今回の宮城野区を中心としたヘリコプターでの撮影状況を試写していました。上空からの光景は、海岸周辺の被害は、想像絶するものでした。家屋は土台から津波で持って行かれ、跡片も無いのです。水田は海水で満ち溢れ、その中に自動車や家屋の残骸が散らばっているのです。海岸に平行に伸びている高速道路の東部自動車道路の土手に波がぶつかるものの、隙間のトンネルから一挙に波が侵入する形で、高速道路を越えて、何キロも押し寄せる光景になっているのです。
 公務を終えて、夕方からは、父親の体調が悪いという事で、長命ケ丘の病院に入院という事になりました。この地震で、暖房が取れず身体が冷えてしまったのです。生命には別状ないようでしたが、高熱で点滴を打ち続けて、なんとか平常温度に戻った様子でした。その後、妻の手伝いで、食材の支度などしながら、家の手伝いです。
 道場に関しては、インフラ整備もされずに、現状として仙台市民が、避難所生活をしている人も多いという事で、一斉メールで今週一週間について道場は休みという連絡をしたのです。災害救助の最前線に立つと、人命救助が優先すべき事であって、日常活動の道場の活動は、次に回すべきであると感じてしまうのです。道場の現場を菅野師範にお願いして、執行部が道場生の安否を把握して、一斉メール、あるいは、繋がらないのですが電話での対応をするという事になりました。
 それにしても、今は、被災者全体に対する意識が強いのです。どんな事があっても、大津波で呑み込まれた人々の、生存を助けたいという気持ちで、望んでいる日々であります。