2011年3月12日(八段語録1250)

東北・関東大震災

 昨日の14時46分地震発生、揺れが止まらないのです。マクドナルドから勢い飛び出し、広場に一目散に駆けだしました。それでも、揺れは、激しく続いています。建物が菱形に捻じれては戻りを繰り返しています。すぐに揺れは収まるのかと思いましたが、今回は、続くのです。5分ぐらいの長い間、不安と恐怖の中で身を縮めているだけで、動く事は出来ないのです。
 それでも、揺れが収まってから、車で移動です。仙石線の遮断機が降りたまま、警報が鳴り続けています。線路にかからないように、高架橋を探して、自宅まで無事帰宅するのです。まずは家族の安否の確認に入りました。妻と子供達は、在宅していたので、安心したのですが、父が老人ホームにデイケアーに行っているので、心配が膨れ上がりました。
 それも、福田町方面の老人ホーム「三春の森」なので緊急を要するという事になりました。何故ならば、海に近いのです。津波に巻き込まれる要素が大きいのです。それでも鉄筋の四階建てなので避難はできるであろうと思うのですが、電話の連絡ができないのと、国道45号線が渋滞なのです。海の方面なので安全を期して、向かう事はせず、ホームの職員に任せるという判断をしました。
 次に、母親の所在の確認ということになりました。いつも健康食品の店を二件程回るのが毎日の日課になっていました。妻に聞くと、長町方面に行っているということで、捜索に車で出かけたのです。夕方になっていたのですが、仙台市内は、街灯もビルの明かりもつかない状態です。いつもと違った街並みを通りながら、目的の店につくのですが、誰もいないので、家に帰っているのではないかという希望を持って帰路ついたのですが、帰って見ても、行方不明のままになってしまったのです。
 家に帰ると、母親の事は後ろ髪を引かれる思いでありましたが、消防の出動命令があり、宮城野区消防局へ直行です。私は、本部消防分団の部長という事なので、市民の安心と安全を守るという役割を全う果たさなければならないという使命感にから夕方からは動くのです。
 本部では、早速、津波の様子がヘリコプターからの映像が映っていました。とてつもない大きな津波が、来襲です。ひとたまりもなく呑み込んでいるのです。今までの人生であり得ない状況が目前に表れている状況なのです。宮城野区消防本部で夜の12時過ぎまで情報の収集と対策し続けた一日でした。