2011年3月3日(八段語録1241)

これからの極真会館の運営 自己創造を評価せよ

 人に対しての不信から、全ての自信を失っていくような気がするのです。あの人はこうしてくれないとか要求してもどうしようもないのです。自分の立場があって、その立場が、どれだけ地域の人に貢献してきたかが問われるだけなのです。つまり審判されるという事なのです。必要がないと判断されたならば、悲しいのですが、退くべきです。
 その人物の評価は、どれだけ価値を創造しているかという事になるのです。その人の評価という事は、地域社会の人々にとっての必要性のあるのか、もしくは無いかという事が問われるのです。ところが、ある地位につくと多くの人は、同じことを行い、同じスケジュールをこなす事に「飽きた」というだけの歩みをしてしまうのです。
 考えてみてください。自分が必要とされるとう事は、本人が決定するのではなく、地域住民が決定するのです。地域の人達が必要と欲し、その評価が、社会的地位の向上であったりするのです。
 価値ある人とは、素晴らしい人格の持ち主という事でもないのです。また科学的あるいは論理的な重要度によっても毛頭ないのです。結論からすると、地域社会の人々への貢献度によって評価されるのです。
今のテクノロジー社会において、絶えず技術革新が願われ、新しい製品が生まれているのです。それと同じように、社会的貢献を強化しようとする「技術革新」が必要とされるのも今の時代なのです。確かに、ハイテクな製品が生産されています。それと同じように、人々に貢献する社会活動が生まれてくる事が願われるのです。
 これまで経済的に、物々交換から「貨幣」という流通手段を生み出した事が、人類に与えた影響は大きいのです。お金であらゆるものが購入できるというマジックを人類は生みだしたのです。それは、技術革新よりも人々にとって最高のイノベーションなのです。それに匹敵した「社会貢献」を生み出すような人物が現れてもよいのです。
 私の社会貢献は、身近にはスタッフが、人並みの暮らしができるようにするという事と、道場生が武装精神を身につけて、社会に出て活躍して欲しいという二点が柱になっているのです。当然このような組織は、支えようとする者が私の事を考えてくれると思うので、安心できる歩みという事になるのです。