2011年2月28日(八段語録1238)

これからの極真会館の運営 最初に考える事は誰の為の道場であるかである

 道場は誰の為にあるのかという問いこそ、極真会館の目的と使命を定義する上で、最初に考えるべき最も重要な問いかけであります。優しい問いではないのです。ましてや解答の出ている話でもないのです。ですが、この問いの解答によっては、この道場と私が、自らどうするかの定義が決定してしまうのです。
 最終的に誰の為に道場があるかが、私達の重要な意識になる事なのです。私としては常に二種類の人達の為にあると考えざるを得ないのです。道場生の為であるという事は当然なのですが、スタッフが十二分な役割を果たさなければ道場の運営はうまくいかないのです。ここで私としては、道場生とスタッフの為にあると定義をするのです。道場は道場生とスタッフが両輪のごとく活躍しなければ運営はできないのです。
 先週、道場生とスタッフとのトラブルらしきものがありました。スタッフは、道場の基本的方針で物事を進めていくのです。しかし、道場生とご両親は、方針が徹底されてなく、まだ聞いていないという事でした。当然、道場生のご両親にとっては納得がいかない話だったのです。したがって、道場生のご両親は、道場に対して、ちょっとしたズレを感じてしまうのです。その事も理解できるのです。また、スタッフが道場の方針を貫こうと話すのも理解する事ができるのです。
 私としての判断は、道場は最終的に二種類の人達の為にあるという事を理解していただくべく表現しているのです。道場は、道場生(道場生のご家族)とスタッフという二種類の人達の為にあるのです。道場が道場生に空手道の内容をしっかり指導しようとしても、スタッフが一生懸命道場生を指導してくれなければ何もならないのです。
 また、一生懸命にスタッフが指導に回っても、道場生がその指導に従ってくれなければ何もならないのです。一方だけでは、道場の発展はないのです。そのような事を先週は考えてしまいました。
 話は変わりますが、息子の聖義と茂奈さんとの入籍を無事終えました。本当にうれしい事です。さらに、茂奈さんの大学入学の手続きに尚絅学院大学へ行ってきました。外国人であるので、日本語をしっかり学んでいく為にも、10科目程度選択して、保育士の資格取得へ向かって頑張るのです。また、今日は、聖義の22歳の誕生日でした。私からの誕生日のプレゼントは、男の身だしなみとして、電気カミソリを送ったのでした。家庭人として出発する息子の姿を頼もしく思いながら、過ごさせていただいた良き日でした。