2011年2月22日(八段語録1232)

これからの極真会館の運営 仙台市のばらまき行政

 私達の住んでいる仙台市の財政を眺めると、財政均衡化には、程遠い状態にあるという事が一目瞭然です。その為に、仙台市の歳入と歳出を調べれば一目瞭然です。毎年赤字が増えていくのです。それでも、役人は一向に今の立場に胡坐をかき、一向に改善しようとしないのです。今の市長に願うのですが、役所が市民社会の主体となって、その形態を定めようとしていては、どうしようもないという事を提案するのです。
 この事に対して、私見ですが、市民の所得のおおむね7%だけ、市民から税金を取る体制で良いのではないかという思いがするのです。それが、市役所の歳入に限界を設けることになり、仙台市は、極度の財政制約の下に活動せざるを得ないのです。その制約ができたならば、仙台市は経済的にも、社会的にもまともな機関となる事ができず、市民活動を主体に置かざるを得なくなるのではないか思うのです。
 今の予算の組み方は、歳入に限界はないとするような勢いを感じるのです。バブル当時となんら変わらない箱モノ行政でもあるのです。その事ゆえに、あくまでも市役所が主体となって、その形態を権威ある者のごとく定めているように思うのです。つまり、仙台市が市民を財布の力によって思い描く社会を形作るような感じがするのです。最悪ばらまき状況下にある仙台市になっているのです。
 名古屋市における川村市長の提言は、減税なのです。つまり、ばらまき行政を徹底的に見直すという事なのです。それは、私の見解ですが、自由社会を行政が侵食するという事を止め、役人が主人として居座る事を無くすのです。市民の首長たるものが、票を買う為に特定の利益集団を豊かにして、結局市民をないがしろにしてしまう結果になるのではないかと懸念するのです。
 これは、市民の自主性の否定であり、事実上、腐敗の延長になりかねないのです。名古屋の改革を如何に仙台市に影響を及ぼすかがこれからの対策のような気がします。今私は、前市議の応援をしています。これだけ巨大化している市政をもう少し簡素化できないかという思いがあるのです。
 簡素化するがゆえに、町内の自治が活発になり、市民生活に活気が生まれるならば、それが今後の方向性になるのではないかと思うのです。