2011年2月19日(八段語録1229)

これからの極真会館の運営 極真会館宮城県本部が優れているのは、消耗戦ができることです

 今日は朝から消防局と消防団の合同の災害時における統率内容の訓練を行いました。消防団に関して、人は代われども、消防団をなくすことはできないのです。変革ができなくても、後世に残っていくのです。そのような事を考えながら、災害時の消防団の動きを地図とパネルに表示する訓練に参加しました。全体が、個々に報告を受けながら、人員の配置状況、積載車の移動状況、火災の状況を10名の本部分団団員と消防署で情報を共有すると同時に、行政の首長が一目瞭然に見られる体制の訓練でした。
 訓練で気が付いた事は、一人だけが理解しているようでは、地図上とパネルに的確に表示できないという事と、声を出し合って情報を共有しなければ、全員が共通認識に至らないという事でした。一人が全体の為に、全体が一人の情報収集の為に動かなければ、混乱し、全体がストップしてしまうのです。次第に声は大きくなります。飛び交う声と情報の表示が一致するにつれてまとまりある組織に変貌していきました。
 ところで、私達の道場が優れているのは、家族や地域社会が担いきれない教育内容を、代行して推し進められることであります。私達が、家族や地域に託されるのは、難しい環境に家族や地域がある時に、是が非でも、必要不可欠として活用されるのであります。
 消防署と消防団はもちろんのこと、家庭や地域社会さらに教育現場は、現状に甘えて、変化を阻止するか、少なくとも緩和してしまうのです。それでも必要に迫られる時に、渋々行わざるを得ないというのが現状なのです。
 しかし、私達は恐れることなく積極的に教育に取り組めるのです。消極的な意味では、いつでもやめる事ができるという事です。消防は当然のことながら、学校や地域の活動内容は、やめざるを得なくなる状態の時地域社会は、ストップする事ができないのです。ところが私達はすぐにやめる事ができるのです。 かなり、消極的な考えでしたが、それも可能なのです。
第二に、私達は消耗戦を許される唯一の組織なのです。私達は、社会に役に立つかどうかで判断されるのです。つまり、厳しく多くの人が色々な観点から判断するのです。道場での教育が、どれ程道場生に、家庭に、そして地域社会に役に立っているのかを考えるのです。もし役立たないとするならば、消滅してしまうのです。その点、消防は絶対になくなりませんが、それでも世間は私達に関して残念に思わないのです。私達が優れているのは、利益を追求するからではないのです。貢献で必要性が認識されるからなのです。