2011年2月17日(八段語録1227)

これからの極真会館の運営 極真会館宮城県本部は経済的発展が最高の目的にする事を捨てているのです

 今までの私の人生において、経済発展が最高の目的であるとする信条は、すでに捨てているのです。当然道場に関しても、経済的成果を最高の価値とする事もやめているのです。数多くの価値の一つにすぎないという発想は、つまるところ、経済活動としてあらゆる社会活動の基礎として取り扱うという信念はないのです。
 経済的は領域を道場の中心的領域とする事は、できないのです。それは、私としての大きな意味を持つのです。それは、とりもなおさず、今までの日本人の当たり前の人の行動であり、行動の動機が、経済人であり、自己実現は経済的な成功と報酬によって計られるという信念を完全に捨てているのです。
 それでは、私の場合、どのような信念で人生を歩んでいて、道場をどのように運営しているかという事なのです。妻と話す事があるのです。道場で頂いた月謝は、道場生の為に尽くす資金であり、道場が社会の為に貢献していくための、源泉にすべきであると結論づけるのです。
 私の発想は、人間の本質および社会の目的について、新しい理念を基礎として、自由かつ機能するようにしたいと願うのです。したがって私の場合、社会に対して理念を家庭に置いているのです。それは、私達のグループの家族哲学であり、形而上学の領域で見つけようとしているのです。
 私の目標としている理念は、道場生全員が全力を尽くして貢献する事の出来る目標なのです。誰もが、どんな立場であったとしても、家族を失うわけにはいかないのです。また、両親として家族の中心であるとするならば、「親業」を絶え間なく続けていくことになるのです。
 昨日も我が家では、二女の娘と母親が、取っ組み合いになるような喧嘩をしていたのです。母親は、本気で体当たりで娘にぶつかっていきます。娘もありとあらゆる感情を露わにして抵抗していました。そして、二人の最後のメールでのやり取りは、「お母さん感情的になりすぎてごめんね」「お母さんを悲しませてしまってすみませんでした」という事なのです。
 私の、極真会館の発展に対する姿勢は、新燃岳とは比較にならないほどの、マグマが噴き出る情熱に溢れているのです。妻も子供に対して、目から火が出る熱気で指導しているのです。アメリカからお嫁に来たモナさんが戸惑ってしまうほどの愛情関係が存在するのです。そのような家庭の延長がとりもなおさず、道場であると思うのです。そのような理念が漠然としながらでも私の人生と生活を支えているのです。