2011年2月16日(八段語録1226)

これからの極真会館の運営 社会的責任の遂行

 極真会館宮城県本部の活動の目標は、崇高にしてレベルの高いところに置いているのです。それだからと言って社会的な責任を免除されるという事はあり得ないのです。逆に、高い目標を掲げれば掲げるほど、自動的に社会的責任の遂行を意味するのです。社会を基盤とする私達は、社会の目的と安定に貢献して初めて道場として、機能するようになっているのです。
 昨日、吹雪の中山形に行ってきました。出羽三山の霊峰の恩恵を受けようとするのと、家族と氏族の安寧を祈っての行動でした。霊験あらたかな感性を受けてきました。行った事での私に対する天啓は、単純な事でした。「一生懸命に社会に貢献しなさい」という何ものでもないのです。
 精神と肉体は、もう既に成熟の域に達しているのです。その意味では、社会的なリーダーとしての自覚をすると同時に、社会との調和を果たしなさいということなのです。私達の道場が、自らの目的と役割を達成しようとする事によって、道場としての権限を強化しようとする事なのです。
 それどころか、道場の役割として、社会的善なる影響を与えようとする権限を強化し、道場生一人一人に正しい行動をするように一定の枠を課する事なのです。とはいえ、道場生に強制する事も出来るはずはなく、社会の信条や安定を理由として、道場生を束縛しようとする事も、毛頭ないのです。
 山形からの帰りは、車中家族は、疲れのせいか、深い眠りの中にありました。心地よい眠りのようでした。その車中での私の思いは、この家族をしっかり守っていかなければならないという高まった感情でした。一人運転して起きているわけですから、現実にも運転を誤れば事故を起こします。それ以上に私から発する愛情が輝かなければ、家族は生の喜びを感じるはずはないと思えたのでした。
 この家族ゆえに、立ち上げた極真会館宮城県本部であるのです。それだけに、家族の生き様の絆を道場生に連結してこそ、社会貢献の原点があるのだと思うのです。子供たちの成長も極真会館宮城県本部の歩みと共にあるのです。今後益々、わが家庭を道場生のモデルとして行きたいとも思うのです。