2011年2月3日(八段語録1213)

これからの極真会館の運営 旧暦の新年と人に関わること

 今日は中国や韓国・台湾では、新年を盛大にお祝いする行事が盛りだくさんだったようです。中国では花火で高層ビル一軒丸焼けになるくらい、一大行事ということになります。前後して、故郷と行き来するので、さながら民族大移動のような様相を呈するのです。
 私も今年一年の歩みを決意すべく、人影のない神社へお参りです。日本でもあんなに旧暦に拘っていたのに、今では、ごく一部にしか伝統は残っていないのです。それでも、この歳になると、旧暦がピタッと合うような気がします。西暦が最も良いということではないので、二回の正月を迎えるのも大事だという事も感じるのです。
 今の時、自分の人生という映画の中で、主役を張っているのです。名優かどうかは分かりませんが、確かに役割を演じているようです。とりわけ、極真会館宮城県本部での役割は、スタッフ同士が共同して役割を演じて成果を上げる事を可能にしているのです。皆の能力を如何なく、発揮し強い統制力を持ち、弱気を挫きながら推し進めているという設定なのです。
 とりわけ、私の演じている主役は、一人一人を大切にすると同時に、コミュニケ―ションを基盤として、個人が責任を発揮するように演じているようです。私の演じている名優らしい振舞いは、道場生の全てが、自らの目標を考え、他者がそれを理解していることを確かめられるという演出です。
 同時に、自らが他者の恩恵に被っている事を考えることができ、他者がそれを理解していることを認識しなければならないのです。更に、他者が自分の為に、期待していることを考え、他者が自分を理解しているという事も感じなければならないと思うのです。その中で、悪人として出てくるのは、自分がどうだったかをいつも確かめ、自己主張と自己顕示力をいつも誇示している人ということになるのです。
 そのような人物に、名優はどう主役を演じるのかということになります。勧善懲悪ですから単純に退治すれば良いというものではなく、じっと見守る愛も必要と忍耐する演出を取るという事にもなるのです。何故ならば、映画で悪を懲らしめるというのではなく、ニーズと機会に変化に応じて、道場生にスタッフが成長していく道筋を切り開かなければならないのです。この事が、本当の名優ということになるのです。