2011年1月20日(八段語録1199)

これからの極真会館の運営

 正しいとは決して思えないのですが、人間の本性とその社会的役割と位置づけについての理念を、大学で学びました。社会的に最上位の人間活動の領域を示す事によって、社会の基本的な内容でした。もう既にナツメロ的な内容ですから、表現する程おかしくなってくるのですが、一応記入しておきます。それでも心貧しくなるとこのような考え方が心を去来するのも事実です。
 それは、マルクス・レーニンらが規定した内容で、人間存在を経済的な動物とした理念でした。つまりエコノミック・アニマルなのです。経済的活動をあらゆる目的を実現するための手段とする社会主義の基盤ともなる考え方でした。
 極端に言えば、経済的な満足だけが社会的に重要であり、意味があるという内容でした。経済的地位、経済的特権、経済的利権はすべて人間が働く目的とする考え方でした。この内容は、大学に行かなくても、両親からよく聞かされたものでした。「お金を持たなければ、利口でも馬鹿に見られるし、お金がありさえするならば、馬鹿でも利口に思われる。」とう事をよく聞きました。
 ところで、人の本性と、その社会的における役割と位置づけを、私は最上位にどのようにおいているのかという事です。両親からの教えに対しては、全く反発し続けていました。「人間はパンのみに生きるにあらず」という事を大事にしたのでした。
 空手道を通じて社会貢献していくという事は、まさに、上位の領域に人間の精神性を掲げたのでした。確かに食べる事ができなければ、ひもじくもなるし、心も貧しくなるのです。それでも、それを度外視した生き方を実践したくなったのも事実なのです。修行僧やシスターのような生き方もまんざら捨てたものではないのです。
 極真空手道は、人間の精神と肉体の最強を目指すものでした。今でも、その鍛錬は欠かす事が無いのです。そして、日々を精神修行と捉え、道場生を愛する実践へと移行していったのでした。それだから、道場生が慕わしいのです。その成長が楽しみなのです。この生き方が、私にとって最高の生き方を意味しているのであり、道場生の為に生涯の全てを捧げたいと本心から思っているのです。