2011年1月18日(八段語録1197)

これからの極真会館の運営

 今日ある団体の人から苦情が寄せられました。私の例題の出し方が、その団体にご迷惑を、おかけしたのです。無意識のうちに書いてしまった事なので、ブログを読んで下さるならば、ここで謝ろうと思います。他の団体を非難しようとは思わないし、削除すべきは、すぐにでも対応しようと思っております。
 次の世代に継承する事に極真会館は、失敗したと結論づけています。それ故、どのようにしたのなら、より確かな継承が成されるかを、私の思いつく範囲で書かせていただきました。それが、一年の総括で書いた内容です。八年の間、大学や院で経済学を学んだものとして、私の観点を書くという事は、いずれは、博士論文として、母校に精査して貰うつもりで書いているので、いい加減なノートではないと思っております。
 継承問題に関しても、もし他の良き観点がありましたら、助言頂ければありがたいと思う次第です。私の場合、誰も書く事が出来ない、私だけしか書く事ができない論文として検証し、実践した事として書き残したいのであって、他の団体がどうのこうのではないのです。
 批判めいた三面記事のようなつもりでは書いていないのです。学識ある人であれば、理解していただけるのではないかと考えるのです。それはともあれ、今日は、成果しか私達を理解する事は出来ないのではないかという事を書いていきたいと思うのです。
 私の青春時代は、今のような成熟した社会にはなっていなかったのです。結構、乱暴な事も許された時代であり、大目に見られた事もあったのです。それ故に、私も開拓者としてのパイオニア精神が培われたのも事実なのです。
 しかし、今日、あらゆる状況が組織社会になっているように思えるのです。すべてでは無いにしても、社会的課題が、組織によって遂行されているのは事実です。何度も言うようですが、極真会館は自らの為に存在するのではないのです。あくまでも極真会館は手段なのです。この事は、手塚会長が口を酸っぱくする位、話の中に出てきます。
 私達は、社会的な課題を担う社会の為の機関である事を認識すべきなのです。私達の目的は、社会に対する貢献なのです。従って、活動の評価基準は、私達極真会館以外にあるのです。私達の存在の正当性の基盤を実績に置く以外にないのです。実績を挙げて、正当性を高める事が重要なのです。色々と批判はあるでしょう。しかし、このグループの正当性は、実績と成果のみなのです。手塚会長にも、一連の苦情をお話ししました。結論は頑張ろうということでした。