2011年1月17日(八段語録1196)

これからの極真会館の運営

 私達は、営利を目的とする企業と違って、教育を目的としているのです。しかし、私達も、企業のような利益に相当する評価基準を必要としていることは言うまでもないのです。そのような意味では、金銭に代えられない価値の高い評価であるのです。そこで、私達にとって最も重要なものは何であるかを問うことになるのです。
 私達が活動の評価基準を持たなければならないのです。そうしなければ、この極真会館という組織は成功することは出来ないのです。このような事を、責任を持つ人たちは検討しなければならないのです。それだからと言って企業のやり方そのものを移植するのだという事を言うのではないのです。
 しかしながら、極真会館が一般企業から学ぶことは、必要であろうし、何らかの形でしっかりした目標設定が必要なのです。私達の活動内容は非経済的組織であり、営利を追求する事に至らないのです。それでも企業の運営方針とは異なる的確な運営手段が願われる事は間違いないのです。
 私達が、一般企業の運営の基本から学ぶことは重要になるのです。何故ならば、極真会館は、学生ないし青年達が先頭立って、社会を知らずに成長してきた団体であるのです。企業を研究するということは、必要不可欠であろうと感じるのです。それは、私達が例外として社会に存在しているのではなく、同じ社会貢献する団体として企業があるからには、最も研究してきた企業運営も私達に参考になるという事を自覚すべきなのです。
 私達は、企業にとって利益に相当する尺度を必要としているのです。言い換えるならば、私達にとって不可欠な尺度の手本となるべきモデルを発見しなければならないのです。極真会館の存在意義は、そこにあるのです。社会に対して企業の利益に相当する評価を持っているのかという事なのです。
 私がこのような事を考えるのも、私達が社会から高い評価を得なければ、極真会館の存在意義を失うのです。私達が社会に対して十分な成果を上げる事が出来るのでしょうか。そして、それは一体何であるのかを、スタッフが検討する時期に入っているのではないかと思うのです。
 ある道場は、暴走族の集まりのごとくに成っているというのです。サンドバックを蹴り込み、ただ強さだけを誇るようなのです。確かに肉体の錬磨は重要な事です。私達も目標として置かなければならないことではありますが、社会に貢献できる人材育成とはまるっきりかけ離れた存在になるのではないかと懸念するのです。