2011年1月14日(八段語録1193)

これからの極真会館の運営

これからの師範が気をつけなければならない一つは、極真会館宮城県本部の理念と自律性が失うならば、個人のパーソナリティは活かされず、自己実現を可能とする道場でもあり得なくなるという事なのです。自律性を許さない全体主義を押し付けられるならば、あまりにも迷惑な事なのです。師範が絶対であるというような風潮ができ、師範の顔色をうかがう組織はもう既に死んでいるのです。
それは、自由どころか民主的運営も不可能となり、北朝鮮のような組織、あるいはかつてスターリンが引いた体制ということになるのです。それは、自立した組織に代わり全体主義的な独裁になってしまうのです。他の派閥の極真会館の中によくあるトップダウン方式なのです。
全体主義になると、競争を許さず、絶対のボスを据えるのです。恐怖によって支配するようになるのです。更に、本当の意味での責任を与えず、組織を廃絶し、全てを包含する官僚組織に吸収するのです。
さて、北朝鮮は全体主義の見本のような存在です。学ぶ事が多いのです。苦役として強制的、恣意的かつ不条理が行われ、膨大な無駄の下低迷するだけになっていくのです。そのような意味では、責任を持って成果を上げていくことだけが、自由と尊厳への道ということになるのです。成果を上げる責任ある指導者こそ、あらゆる圧制を防ぎ、圧制に代わる存在ということになるのです。
これからの指導者は、極真会館という絆で結ばれたコミュニティとしての組織において、十分機能させるべきなのです。共有する目的を持っているのが私達なのです。この極真という絆で結ばれたコミュニティであるからこそ、人と人の関わることができ、善悪に関わる事もはっきりするのです。
私自身、東北学院大学でキリスト教学を学んでいたころよりも、極真会館宮城県本部での道場運営を通じて、多くの神学を学んでいると言って過言でないのです。もちろん、大学で一般教養を随分学びました。知識、自己認識、知恵、リーダーシップという人格に関わる内容を学んだのです。同時に実践と応用に関わる内容としての教養も身につけようとしたものです。
従って、教養として学んだ科目は、心理学であり、哲学、倫理学、経済学、歴史、物理、化学など、人文科学、社会科学、自然科学の広い分野にわたる知識と洞察力を身につけてきたのでした。それらの事も成果を上げていく材料になるのです。それらを、空手道の技の伝達、教育、全てに渡って成果を上げることに使うべきなのです。
そして、最終的難関は、人的資源をどのように活性化させることなのです。人を嫌えば派閥が生じます。それが最終的には自分の首を絞めるのです。はっきり言って、人的資源ほど効率の悪いものはないと悟るべきでしょう。この人的資源の活用に成功して欲しいのです。人的資源こそ道場発展のカギなのです。