2011年1月12日(八段語録1191)

これからの極真会館の運営

 これからの師範の立場は、道場が存在する限り、基本的かつ指導的な存在としてあり続けなければならないのです。今の宮城県本部仙台道場の特性および、必要性から不可欠なものなのです。のみならず、それは、道場の魂の具現化された道標ということになるのです。道場の教育の在り方を組織化する事によって道場生へ健全な極真精神を確保する事が出来るという信念の具現化なのです。
 この宮城県本部仙台道場で学ぶ武道精神が、社会貢献をする人材育成とならなければならないという強力な信念として疑わないのです。極真空手の教育はすべてが実践に即しているのです。すなわち、空想や想像力だけの哲学ではなく、砂漠で、僅かなサボテンしか育たなかったところに、果樹や野菜が取れるようにするごとく、社会貢献出来る人材を育成する事を具現化するのです。
 それ故に、多くの人材を育てて、地域社会に貢献する事を願われた指導者であり、すなわち人材教育の責任を託された指導者としての運営能力ということになります。極真会館の基本理念が反映されている指導者でもあります。もはや極真会館宮城県本部に不可欠の存在なのです。それ故に、師範として出発たからには、ほとんど反対されることなく、急速に成長し発展すべき事なのだと思います。
 ところで、再計画や修正なしに、長期にわたって成果を上げる活動はあり得ないのです。今までの活動に新たなる息吹を吹き込まなければ陳腐化してしまうのです。このような事を全く機能しなくなっているのが、今の民主党政権と同じだと感じるのです。事業仕訳を見ても、もう既に何も止める事が出来ない状態になって、史上最大の予算として計上されてしまうくらい、病は重いのです。
 特に官僚たちは、昨日に愛着を持って、失敗しないようにだけを考えていくのです。しかし、師範には、道場生の新入生獲得から教育という冷徹な現実があるのです。その為に客観的な尺度としての運営があるのです。意に染まなくとも、どのように発展させるか考えざるを得ないのです。むやみに切り捨てる事も出来ないのも師範の立場なのです。
 その為に、あらゆる部門のスタッフが一致協力して、道場の発展という冷徹な現実を乗り越えていかなければならないのです。師範を中心とするスタッフが、それぞれの部門でしっかりとした尺度を持って対処しなければならないのです。