2011年1月8日(八段語録1187)

ラキンタ(モナさん宅)三日目

 ホテルでの朝食後、さっそうと小学校へ空手指導です。今日は集会所のような体育館を使用できないという事で、外の会場ということになりました。一月の冬というのに、二〇度近くあって暖かいのです。晴天の雲ひとつない晴れやかな空の下、元気に子供たちへ空手指導が始まりました。
 ラキンタという町は、一年に数度しか雨が降らないのです。ロサンゼルスから内陸へ向かう事二時間、山脈を越えた盆地に町は広がっているのです。雨が降らないので、高い山々はまるっきり樹木が育っていない、岩肌の山になっているのです。盆地ですから周りは一面の山地です。ちょうど会津や山形のような地形になっているのです。
 驚いたことに橋が無いのです。川があるのですが、渇水していて、川を横切るように道路が川底に接して、また上っていくのです。要するに、雨が一年に数回しか降らないので、橋は必要が無く、雨の時だけ、ちょっと通行止めになるということらしいのです。
 そのような所に何故町が突然出現したのかというと、水が地表には無いのですが、地下水が豊富なのです。つまり、汲み上げれば、水が無限大に使えるのです。ロサンゼルスで節水制限がある時でも、この町では、何の制限がかからないほど有り余る水資源に支えられているのです。
 この町は、二五年前に突然、政策的に形成されたのです。町の歴史は僅かばかりで、これといって何もないのです。誕生した町には、人間臭さが無いのです。まして、日本の秋と冬、春先に当たる季節は、温暖な晴れた日が毎日続くのです。それも、二〇度前後の気候ですから、避暑地には持って来いということになります。至る所からゴルフやカジノそして休息の地として全米から集まり始めているのです。
 空手指導も終えて、今日の昼食は日本食ということになりました。経営者が日本人という事で親しみを感じるのです。アボガドという野菜を使ったロール巻きや、お寿司等の日本食がメインでした。私はちょっと疲れ気味という事で、ホテルに戻って休息です。他のメンバーは元気にショッピングやちょっとした観光に出かけて行きました。
 私は、こちらに来た原点思考になって、息子聖義のお嫁さんを頂に来たということに立ち返って、しばし心を落ち着かせることにしました。本来の目的を離れてはいけないという事を肝に銘じて一人ホテルで黙想です。こちらのご両親に信頼されなければ、大事な娘を預けてもらう事はないという事を感じたのでした。
 夕食は、豪華なステーキハウスに招待されました。本当の意味での対面ということになったのです。食事をしながら、娘さんの幼少のころからの話、色々なエピソードと家族の話が尽きないのです。私達も、わが家族の姿を克明に話すのですが、どれだけ通じたのかは検討もつきません。しかし、素晴らしい両家の団欒の時であった事だけは間違いないのです。