2011年1月4日(八段語録1183)

今年の年頭の決意

 極真空手の精神が大山総裁によって生まれたように、私のトップとしての人となりの姿を見せられなければならないと感じるのです。それで、私の今までの全てを総合して、今年打ち出す精神は「真摯」そのものなのです。敢えて、今年は真摯さを絶対視して行く事を心の中で決めています。
 この「真摯」を貫いてこそ真剣さが伺えると思えるのです。今まで現役時代から極真会館に在籍して、自分での満足時間を思い浮かべると、真摯さを発揮してこそ、自分を表す事が出来たのではないかと思うのです。経験から「真摯」は、ごまかす事が出来ない要因なのです。道場での範たるも「真摯」ゆえです。
 今までの経験から、指導者が真摯であるかどうかは、時間が経つにつれて分かる事なのです。結局理由をつけては、利用した人達もたくさんいました。ある意味で無能、無知、頼りなさには、寛大になる事が出来るかもしれないのです。ちょっと不平不満をぶちまければ済む事なのです。
 しかし、「真摯」の欠如は致命傷です。そのような者がリーダーになることは許されない事ということになります。トップに資質は、このような事が重要視されるべきなのです。というのも、道場の精神は、指導者から生まれてくるのです。極真会館が偉大たりうるのも大山総裁から生まれたことであり、道場が腐るのは、指導者から腐るからなのです。
 ことわざの中に「木は梢から枯れる」とありますが、言葉どおりの事ということになります。範とする事が出来て初めて師範ということになります。この道場から、どのくらい指導者が生まれてくるのか楽しみで仕方がありません。やはり、裏切っていった人達の事は、忘れようにも忘れる事は出来ないものです。私も人間であるという事なのでしょう。仏様になるには、もっと修行が必要なようです。
 一月4日仕事始めでもあります。具体的に着手する事は余りにも膨大な事なのです。今年もどのような年になるか予測は不可能です。それでも、すでに起こっている事がありますから、これらの起こった機会を大切にして、更に活用して行く事が出来れば良いと思っております。
 既に起こってきている変化から、あらゆる価値観、認識、目的とあらゆる分析をしながら真摯に対応して行きたいと心の中に誓っております。更なる発展を全員で成し遂げて行きましょう。空手道を切り口とした人生の修行は、ことさら味のあるものです。道場生は、この切り口を手段として選択したのです。いい加減な修行の道にはさせないのです。人生をエンジョイできる豊かな修練として歩んで頂ける準備をしていきたいと念頭の決意を「真摯」ということにしました。