2011年1月2日(八段語録1181)

正月二日目

 朝の修行もちょっと一息入れてストップしているので、時間が長く感じます。そのせいか、色々な発想が自分の心を去来します。ミッションとしての自分の役割も分析するのです。何故か若い時から、職業に関しては、弁護士や、税理士といった特殊な職業を目指すのです。そのせいか勉強も自然にしているのです。その発想の根底に、人がやらない事、やれない事を目指そうとする自分がいるのです。クオリティが高いのは、若気の至りです。
 柔道の修行も、誰もやらない事、やれない事の一環でした。当時は、王、長嶋といった野球におけるスター選手が、私も含めて子供達は憧れたものです。だから、ことさら、誰もやろうとはしない、柔道にのめり込んでいったということになりました。当時の柔道は、どんなに活躍をしても、女生徒の応援が全くない汗臭いいマイナーな、脚光も浴びない部活だったのです。ちょっとテレビで姿三四郎としてドラマになっていた位なのです。
 高校時代の柔道はなおさらです。当時の仙台市は男女別学で、柔道の試合は、ことさら女生徒の姿など皆無でした。ましてや、自高の応援団など、めったに来ないのです。それでも、その柔道の環境が好きだったのです。
 根底に、自分が切り開こうとする分野にも、誰もやらない、やれないという意識が強いようなのです。極真空手に出会った事は、その典型のようなものでした。地上最強の空手ということで映画や漫画では有名になっていましたが、まさか、本人が修行する空手道であると言うより、見て楽しむぐらいで、自分もそうですが、ましてや、他の人がその修行に没頭するなど到底考えつかない事のように思うのです。
 その意識が、青春時代、空手以外にも貫いたことになります。どんな事でも、開拓者になるのです。開拓して、ある程度の基盤が出来、組織化されてくると、次の人にバトンタッチしようとするのです。またしてきたのです。その繰り返しが青春時代ということになります。 
 新年も、不思議にそのような事を考えるのです。切り開こうとする人生が、そのような観点ですから、隙間をチョイスするということになるのです。誰もやらない事には飛びつくのです。極真会館宮城県本部の代表師範であるという事だけでも、周りを見れば誰もいないということになるし、さらに、空手道の分野で保護司をしている人がいるかというと、これも皆無ではないかと思うのです。法務省の保護司仲間では、余りにも有名なのです。
 まだまだありました。四十過ぎてから大学の門を叩いたのでした。これも、精神が隙間を狙ってのチャレンジでした。学問を究めようと四十八歳で大学院まで続いたのでした。それもこれも、自分を誰も認めてくれなくても、特殊化して専門性を高める人生を歩もうとする自分の生き方なのだと納得してしまうのです。
 正月の二日目、「そんなこんな」を思い浮かべながら過ごしております。今年の運勢は前向きです。大きなチャンスが来るのではないかという博打のような醍醐味も感じて過ごしています。