2010年12月25日(八段語録1173)
2010年の総決算(11)
武士道精神は、人生に対して死ぬ覚悟をもって志を遂げようとし、他者の為に与えるのです。その生きざまが、家族を、身を粉にして守っていくという事にもなるし、利他主義的発想は、自分を殺すところから発想と知ることになるのです。しかし、その事は、同時に人生を生きる覚悟として与えられるのです。このような精神が日本民族の血液に流れているのです。
人は、一人で歩むならば恐ろしく孤独であり、矛盾を抱えて、隔離された存在として右往左往知るだけしかないのです。ですが、武士道精神が、人生の生きざまに対して意味を与えるようになるのです。そして、あらゆる困難に立ち向かうにしても耐えられるものとなってくるのです。
確かに、戦前に日本にあった軍国主義の思想があり、全体主義の哲学になり、神風特攻隊を代表するように人に死ぬ覚悟を与えるものになったのでした。もうそれは、昔の事だからということでは、すまされないのです。イスラムの原理主義者のように、環境が悲嘆と苦難、破局と恐怖の環境に突入するならば、自爆テロのように死ねることは偉大な事と信仰してしまうのです。そのような意味では、このような哲学を過小評価する事は出来ないのです。
ところで、これに対して武道精神もまた、人に死ぬ覚悟を与えるのです。しかし、武道精神は、同時に生きる覚悟を与えるのです。つまり武道精神は責任と自由を持つ存在としての意識があるのです。人は、自立的な存在でも、主人でもないのですが、人が本質的に利他主義であるという事を自覚する上で重要な内容なのです。
そして、例え、死ぬ瞬間であったとしても、武道精神は心を豊かにし、家族ないし隣人と共なる事の確実さに圧倒されるのです。社会は今まで社会による救済は常に失敗してきたと私は、評価しているのです。武道精神を持った私達が、社会を支えるという目的を持つならば成功する確率が大きくなるのではないかと考えるのです。
そのような意味では、国家や社会にただ従属するのではなく、自らの意思でもって、武士道精神を持って変革していくような志がなければ、私達が抱こうとする精神とは全くかけ離れて行くという事を自覚すべきです。