2010年12月21日(八段語録1169)

2010年の総決算(7)

 今日は、広島に来ているのです。宮城師範が初めて行う合宿審査なのです。二十代後半私は、広島に三年間修行に来たのです。修行の現場は、森周治師範が指導している可部道場でした。そのような思い出を三十年の歳月を越えて再び戻ってきたのです。それも再び極真空手の指導出来ているのですから不思議でたまらないのです。
 極真空手は、武士道の根本を学ぶ道場です。道場では神仏を尊び、先祖を最大敬い、家系を大切にするのです。その意味では、武士道の伝統精神は、共生、共栄、共義の魂が生きているのです。人を傷つけるのが武士道ではなく、民百姓を守って行こうとする「弘益人間」の血脈が通っている精神が本当の武道精神なのです。
 更には、武士道には、人間の人生の根本徳目になる忠と考と烈の魂が息づいているのです。自らを捨て、両親や君主の為に不屈の忠誠こそ、武士道の気概であり、誇りなのです。このような崇高な伝統が、偶然に日本にあるのです。世界の人が今学ぼうとしている精神なのです。
 世界を回って見て、この武士道精神こそ、日本に残された最高の魂の宝であり、この伝統に上に多くの青少年が芽生えて、成長すると確信してしまうのです。さらに世界平和の礎になると確信しているのです。世界の人達の見本になる武士道を、身近で学ぶことが出来るし、明確に示す事が出来るのも極真空手であるという事をしっかり認識すべきなのです。
 そのような意味では、道場生は、武士道の精神を骨身に刻みつけて実践する人生を生きるようにすべきでしょう。それだけの過酷な実践を極真空手道は追及してきたのです。七千メートルを超えるヒマラヤ山脈を往来して、越冬するアネハツルの勇気と気概を私達は学ばなければ、武士道の領域に入る事は出来ないのです。
 極真精神は、生易しい安楽な精神から生まれたのではないのです。人間の修行の極地としての魂の叫びを訴えているのであり、私達の人生に光明となる天道の指導なのです。その意味では、影のない人生を歩む指針になるのです。ちょうど午後正午の太陽のような生き方をするのに、ふさわしい生き方ができる教えであることを宣言するのです。