2010年12月17日(八段語録1165)
2010年の総決算(3)
朝早く今日も起床です。寒さが増しているせいか、朝起きる時は、ゆっくり起きるようにしています。何故ならば、年齢が高くなっているので、血管が破裂しないかと、恐る恐る起きているという感じなのです。というのも、私の家はオープン病院の近くで、心臓や脳の障害が発生した人達が、救急車でサイレンの音と共に運ばれて行くのです。
そのような朝の時に、考えさせられるのは、死に直面した場合どのようになるのだろうかということです。私は正直恐れ慄いてしまいます。一ヶ月近く前に、母の妹が、脳溢血で倒れてしまいました。残念ながら、病院に運ばれるのが、倒れてから半日も経っていましたので、手術の結果、未だに意識を取り戻せない状態になっているのです。
それで、一年も終わろうとしているので、余計に死が何を意味しているのだろうかと哲学的に発想してしまうのです。今まで、人々は、誰ひとりとして、死に対する真実を明らかにし教えてくれた人など誰もいないのです。
私は、楽観的に考えるようにしているのです。死という事は、葬儀を見ても分かるように神聖な事なのです。私の人生観として、悲しみと苦痛の代名詞としての捉え方は、極力しないようにしているのです。人生を最大限に全うして、人生の花を咲かせ、実を結び、勝利と歓喜の世界であったと思える一瞬であるべきだと思うようにしています。
それだから、私の死の時は、喜ぶべき瞬間にしたいと考えています。葬儀は、私を心ゆくまで祝って送り出して欲しいと念願しています。葬儀は、崇高な儀式であり、人生を楽しんだ証にしたいのです。悲しみの涙など絶対に私の葬儀では流させないというのが、今年の決意であります。結婚する時よりも、その死の瞬間が胸躍って興奮する時として、感動の極地で過ごしたいのです。ちょっと飛躍しすぎです。
そのように書くのも、私の父方や母方の兄弟の葬儀が多かった年でもあったのです。今まで、母の兄弟が10人で、長寿を誇っていたのですが、母の姉弟の三番目のお姉さんがなくなり、父の二番目の弟が無くなったのでした。更に追い打ちをかけるように、母の次の妹が脳梗塞で意識不明の状態なのです。余りにも、身近な人が死に直面するので、この一年死に対して考えざるを得なかったのです。それでも私は、楽観的に捉えようとするのです。