2010年12月6日(八段語録1154)

日本を出発して思う事のひとつ(1)

 今年三度目の海外遠征ということになります。日本を離れると、もちろんアメリカの事で精いっぱいになるのですが、そ
れ以上に、家族の事が頭の中を去来するのです。息子・娘の事はもちろんのこと、最愛なる妻の事は、一番心の中を占めて
しまうのです。
 妻の千順さんと出会ったのが、二十四歳の夏ですから、随分長い付き合いになると感じるのです。あれこれ三十三年なの
です。未だに新婚の時よりも、新鮮に愛情が込み上げてくるのです。本当に良縁であったのです。神様が引き合わせてくれ
た祝福でした。不思議に外国に来てまでも、心は妻の元に住むのです。どんなに地球の反対側でも、距離に関係が無いよう
です。
 私の人生を振り返って見ると、結果からすると千順さんとの出会いの為に、青春はあったのです。学生時代は、部活で柔
道をし、強さを身につけようと最大の努力を惜しまず、さらに学業は,目指す大学があって、必死に勉強したのです。学業
は、志半ばで挫折したというのか、未練を残しながら方向転換してしまったのでした。
 その方向転換の最大の原因が、自分をコントロールする能力の欠如でした。柔道で強さを求めて行こうとする自分に、相
反するように情欲が余りにも強く身体に襲いかかって来るのです。柔道を共にする仲間や、学業を共にする友人らは、女子
の友達を作って、結構エンジョイしているのですが、私は、余りにも潔癖過ぎて、それを許さず、自問自答する日々が続く
のです。
 そこで、肉体を鍛えたならば、この情欲の煩悩から逃れるのではないかという発想から学業を放棄して、流浪の旅に出発
してしまうのです。つまり、肉体の錬磨に勤しむようになったのです。当然精神的成長を図ろうとする努力も惜しまなかっ
たのです。確かに、稽古の最中は、相当な集中力で二時間半の時間を過ごすのですから、稽古以外の事は頭に入って来ない
のです。しかし、益々頑丈に鍛え上げられた肉体からは、逃れる事の出来ない煩悩が膨れ上がるばかりでした。それ故に、
稽古の後の精神状態を維持するために、般若心境を唱えたり、論語を読んだり、有名な人達の人生の名言集に触れたり様々
だったのでした。
 そのころ、フォークソングが流行っていましたから、神田川とか恋とか旅立ちとか、様々な歌を口ずさむものですから余
計に煩悩は膨らむばかりです。何故ならば、自分には方向性もないのです。それでも歌は好きで、特に松山千春を良く歌っ
ていました。世俗な歌を歌うからだと思い、ゴスペルソング等口にするも、何ら影響もないというありさまでした。
 肉体と闘い管理する事を心掛けていましたから、断食道場に通って一週間の長い間、水だけで生活した事もあるのです。
それも、年四回と回数もこなすのです。人間は、環境があれば、水だけで生きられるものだと、自分でも、不思議に思った
ものです。更に、修行を続けたのでした。北海道ではアシリ別の滝に、何度打たれに行った事か、数え切れないのです。も
ちろん、その時に修行の好きな高木師範の指導があったからに他ならないのです。
 また、真冬の大寒の時に、石狩浜での海の中での稽古も凄まじいものでした。陸の氷点下の中にいるよりは、海の中のほ
うが暖かく感じたものです。もちろん、手足は凍傷にかかっていますので、帰ってきてからはストーブに当ることなく、手
を揉みほぐし、時間をかけて解しながら、自然に空気で暖めるという有様でした。
 その修行空手修行を行っている最中に、妻の千順さんと出会う事ができたのです。まさに修行中ということの、なにもの
でもなかったのです。情欲を抑える事400日目の快挙であると自負するのです。その時に出会ったものですから、私自身は
、僧侶以上に修行を積んだと思える心で、向かえる事ができ、千順さんに会えたのでした。ですから、純粋にこの人を伴侶
に貰おうと一目で決めてしまいました。
 あり意味で、申し訳ないのですが、千順さんには関係ない自分との闘いであったのです。そして、天地神明にかけて、誰
に憚ることない恋人として向かい入れる事ができたのです。そして、その後の自分の情欲は、初恋となり、情欲に方向性が
生まれ、千順さんを、恋しがる愛情へと昇華出来たのでした。私の心の葛藤が、愛情に集約され、それが、本当の意味での
愛情の源泉になり、さらに肉体のパワーの源となったのでした。
 今でも妻を求める愛情は凄まじいものがあるのです。まさに、妻の千順さんの精神と肉体を、私は貫き通すのです。妻は
、私の唯一・絶対・不変の愛情の門なのです。それ故、浮気などは考えようにも、ベクトルの向かう方向が定まっているの
で、無理なのです。また興味も持たないのです。
 そして、今アメリカに来て考える事は、今の自分よりも新たに成長した自分が、妻と出会いたいという気持ちで一杯にな
るのです。そこには、煩悩は吹き飛んで、愛情のみが心を支配するのです。妻という存在と、感動と喜びを共にしたいと思
う気持ちで、自己管理と自己創造に勤しむ自分の姿を再発見するのです。 
 愛と性の方向性が、はっきりした事が、私にとって最高の幸福であると、結論つけているのです。今の私は、煩悩などと
いう中途半端な煩わしい思い出の生活ではなく、妻を霊肉共に、貫き通す愛情で満ち溢れていて、深く交われば交わるほど
、妻を思い、家族を思い、自分の役割を全うしようとする心が、大きく広がって来るのです。妻ゆえに、どんな試練も恐れ
ないのです。それが、私のライフスタイルになってしまったのです。 
 これが、私の信念であり、極真空手としての正道であり、家庭道なのです。武道は、私の心を一つの方向性に導いてくれ
たのです。動機はどうあれ、代表師範として苦悶してきた青春時代を、赤裸々に表現してしまいました。