2010年11月28日(八段語録1146)

これからの極真会館の運営
宮城県本部の今までの実績がなければ信頼を得られず、ただのロマンチストなだけ

 師範はもう既に理解しているのですが、指導者が重要である事は、色々な場面の判断で表面に出てくるのです。その意味では指導者の資質と役割について原則が歴然としてあるのです。極真会館では、昇段をしていくわけですが、むやみに段位が上がっているのではないのです。私においては、あらゆる現実の組織運営の中で、手塚会長に実績として、基盤拡大に貢献してきた経緯があるのです。
 選手時代は、アスリートとして、何処までも自分を追い詰めました。現役ですので、一日三ラウンドの稽古をこなすのです。朝本部で10時から始まりましたが、二時間半の稽古をこなし、次に4時半からの稽古をこなし、最終的には、7時からの稽古に参加するのです。
 それでも、マンネリ化するので、トレーニングジムで何時間かを費やして、稽古の補強すべき自分の課題を見出しながら、全日本に臨んだものでした。それでも、最初はなかなか勝てないものです。相手も相当に修練を積んでいるのでなかなか勝たせてもらえないのです。そんな歩みを7年間選手生活の期間継続してきて、極真戦士として恥ずかしくない段階まで上がっていく事ができたのでした。
 ところで、指導者としての歩みは、全くと言って違っているのです。会長の理想に答えるにはどうしなければならないかを深く検討しながら実際に、夢を実現しなければならない道でした。一つの壁があるとしたならば、それを乗り越えていくのです。しかも、その壁だけではなく、次の新しい絶壁が待ち構えているのです。そして初めて、信頼されながら一段階一段階乗り越えてきて今の段位があるのです。
 ある意味で家族を後回しにし、宮城県本部を犠牲にしてきた事は、誰もが感じている事なのです。その結果、今の宮城県本部があるのです。実績にあぐらをかくことなく、怠慢になることなく推し進めてきた訳なのです。会長にとっては、まだまだという意識にしか見えないのですが、それでも単純極まりのない日々の「業」を推し進めてきた訳なのです。
 ところが、最近の組織の現状を考えると、少し、指導力があるということで、かなり上級のポストについてしまいます。その結果、彼ら自身の傲慢さと他の指導者達からの拒絶反応の為に、ほぼ確実に遊離してしまう状態も見受けられるのです。
 師範は、その点を明確に見抜いているのですが、次の一手が打てない状態になっているのです。指導者に要求しなければならない事は、もう一度どんな指導者に対してもチラシの配布から初めて、新規入門者獲得の努力をさせなければならないのでしょう。指導者であるからと言って、そのままの立場を保全するようでは多くの指導者を活かす事ができなくなります。ある意味で、指導者は一時の立場で、現場の新しい道場生を迎えての活動を展開する立場に戻さなければならないのです。またその事をどのようにしたら指導できるかを検討すべき事なのでしょう。そうでなければ、足で道場生を指導するような、人形使い、あるいは、用人、悪くすると反対勢力の黒幕になってしまいます。