2010年11月27日(八段語録1145)

これからの極真会館の運営
反省すべきコミュニケーションの基本

 青春時代かなりデール・カーネギーを読み込んだのです。新入社員の定番と言われる「人を動かす」であります。今の私の人間関係の黄金律として、多くの人に躓くことなく、さらに躓かせることなく過ごしてきたつもりですが、最近はちょっと考え方に変化が現れてきたのです。大人になったのでしょうか、それとも円滑に人間関係を片付けようとする私の勝手な価値判断なのでしょうか。
 さて、人間関係を成立させるために、最も大切なキーポイントが、今更ながら自分自身であると再確認させられるのです。話を聞く立場が最近は多いのです。つまり、私が話を聞くという場面に何度も直面するという事になるのです。そこで、私がしっかりしなければコミュニケーションは成立しない現実を直視するようになったのです。
 私が聞くことに専念しなければ、絶対に良き人間関係は成立しないのです。そこで、今悟りを開いている内容に関して書いていくことにします。第一に、私が多くの人の話を聞いて心で感じなければ人間関係は成立しないのです。つまり、私のボキャブラリーに相対する内容でない限り、成立しないのです。相手が、私の経験の範囲に基づいた言葉の表現でない限り、ピンとこないのです。
 第二に、私が、相手に期待していることだけしか認識しないのです。期待外の内容は結構聞いているようで一向に頭脳に定着しないのです。その意味では、期待しているものしか聞いていないということになるのです。
 第三に、私は、話を聞く中で何かを知らず知らずに要求しているようです。私がそれを聞いて何か得する事を求めているようです。あるいは何かを信じようとしているのです。それは、常に私の気持ちに訴えるものでない限り聞いていないとう事にもなるのです。従って、私の価値観、欲求、目的に合致していなければ全く受け付けていないとう事を冷静に分析できるようになってきているのです。
 第四に、あらゆる情報を論理の対象にしようとしているのです。形式なのです。何か意味あることではなさそうです。形式的に話してくる事だけ、情報として認識している自分になっているのです。すなわち、相手との予めの形式事項や了解事項があって事が運んでいるようです。
 今日は、人間関係における私の告白でした。全く、自己本位といいましょうか、まるっきり成っていない自分を反省しています。発展的にしか考えない自分の反省と自己嫌悪というところでしょうか。至って自分本位の自己を見つめている今日でした。反省。