2010年11月24日(3)(八段語録1141)
これからの極真会館の運営
行政は民間の活動の理解者とならなければならない
今の極真会館手塚グループを取り巻く環境を考えると、活力ある強力な地方公共団体も必要としているのです。巨大にして無能な公共団体という意味ではなく、お互いが協力しあう事ができる関係が構築できるのではないかという事なのです。
極真会館宮城県本部をモデルとして、全国のグループを刺激して行こうとする作戦ですので、行政との連携と意思決定と方向付けに専念しながら、同じ目的に向かって進んでいくことはできないか考えるのです。その意味では、行政がどのようになっているのかしっかり認識する事が必要であると同時に、出来る事なら指導できるポジションにつけたならば、より範囲は広がりを見せるであろうと思うのです。
それ故に、協力しうる行政と連携を取るならば、よりよい選択ができるのではないかと考えるのです。私達が直面しているのは、更なる青少年問題への取り組みであり、今の教育に見るような自由放任への復帰ではないのです。行政と民間がそれぞれ得意とするものに従事するという有機的な多様性への道なのです。
しかしながら、行政は、いかに民間の機関にとって魅力あるものとして活動しているかというならば考えさせられるものがあるのです。言い換えるならば、それぞれの楽器が得意とするものを活かす作曲家ないしは指揮者に行政はならなければならないのです。その時の極真会館の歩みは、自動的に作曲家や指揮者によって引き出された内容は、称賛に値するような活動につながっていくのです。つまり、青少年教育を地域に根付かせた存在になるのです。
極真会館をメインに書いていますが、実際は、多元的社会における自立的機関の能力をもっとも引き出す行政としての役割を果たす事ができれば、行政は称賛すべきものとして活力溢れるものとなる事は間違いないのです。
今日は福岡での大会も終わり、空港ロビーで静かな時間を過ごしています。仙台への便の待ち時間を有効に使おうとパソコンと睨めっこということになっています。私の歩みがどのように福岡県本部に役だったのかは分かりませんが、しっかりと会長と愛情を注いでいくという事なのです。
今57歳、円熟した年代になって、成すべき事をしっかり頭の中に叩き込んで、最高のステージを備えていきたいと考えるのも、贅沢な事と感じております。