2010年11月18日(八段語録1133)

これからの極真会館の運営
師範の貢献と道場生の貢献の相違

 極真会館等武道団体は、確かに上下関係が存在するのです。それは、精神修行を基礎とした修練の有無によって計られていくことになっているのです。私達の主張する組織の内容は家族であり、アットホームな関係を目指すのです。それが、情緒的な平等を標榜して、階層や格位の批判をするようでは、もっての他ということになるのです。
 極真会館は社会的な貢献を目的とする働く事を必要とするあらゆる機関と同じように、家族であり、そこには階層も存在するという事になるのです。つまり、家族には両親がいて子供達がいると同じなのです。両親と子供達は共に必要とされるのです。
 しかし、今の企業の運営社会では、機会の平等を実現しなければならないということになっているのです。それには、人間の尊厳に関わる労働組合の理念や、キリストと教の伝統に立つ正義の要求があるのです。新しい事は、今日その正義の実現は、今の社会では極真会館のような武道団体にも適用しようとする事が求められているのです。
 そのような意味では、平等とは、往々にして誤解されるような平等ではないのです。逆に、それは、必然的な結果の不平等を招くことになるのです。まさに正義のコンセプトは、同等ではない仕事ぶりの反映した差にある事を要求するのです。
 今、現場の師範が考え、そして指導していることと、道場生の稽古をしながら修行していることでは必然的な評価の差があり、共に評価はされますが、責任が重い立場の評価は当然現場の師範にある事は間違いないのです。
 このような事で、極真会館での各位の階層は厳然としてあるのであり、上下関係はしっかり保たれるべきであると主張するのです。代表師範として取りかかる事は、振り子の頂点であり、これが、師範の位置にまで降りてきて、最終的には道場生一人一人に波及していくのです。これからの内容が時代を切り開くと信じて闘っていきたいものです。