2010年11月7日(八段語録1122)

これからの極真会館の運営
現状維持にしがみつくな

代表としての私が何を考え、何を行おうとしているのかを、私のブログで推測する事ができるのです。あらゆる戦略を駆使しているのです。今回の手塚グループの純粋体制も会長と検討した結果の事でした。相談する事が生命の綱なのです。
ところで、その戦略もうまくいかない事が多いのです。何度も試みては失敗を重ね、砂漠で屍となって死んでいくように徒労に終わる事も多いのです。しかし、何度試みてもさらにもう一度行おうとするのが私の姿勢なのです。
それでも駄目ならば、別の事を行うのです。もちろん一度でうまくいかない事がほとんどなのです。その時には、発見した事あるいは、浮かんだアイデアを考えるのです。そうして改善する事になるのです。最終的には先ほど書いているように、もう一度チャレンジをするのです。それでも駄目ならば、余り薦めたくないのですが、もう一度試みるのです。
成果の出る戦略は何かと考えるよりは、何度も何度もチャレンジする方向を私は取っているのかもしれないのです。それでも、時間と資源は限られているのですが、行うべき事は余りにも多いのです。
しかしながら、私には例外も片隅の中にあるのです。青春時代に高い理想と志を抱いて全国を行脚した事があるのです。まさに、荒野をめぐるような生き方であったと感じさせられるのです。未だに理想は高く天を突き、足は大地にのめり込んでいるのが現状なのです。この私の理想は生涯かかっても達成する事ができないのではないかと思うほど、途方もない事なのです。その意味では、荒野で禿鷹に食われてしまうのではないかという思いさえするのです。
今でも、荒野にしがみついている代表としての私なのかもしれないのです。私の知る限り、成功も失敗もお構いなしに、志を推し進めている人が居られます。生涯大義に殉じて行こうする人です。姿勢は一貫しているのです。その人に私は付いていく事ができるかというと付いて行くのです。その人こそが、私の良心なのです。しかし、その人の歩んだ道のりは、決して成果を上げ続けないのです。失敗の連続なのです。天国で報われるかもしれないのですが、それも定かではないのです。そのような恩師を持っているのも私なのです。