2010年10月22日(八段語録1106)

これからの極真会館の運営
今の政府はお粗末な経営者にしか見えない

日本国という巨大かつ複雑な組織を、今の政府が運営しているのだろうかと疑問を感じるのは私だけでしょうか。別に批判をすることに意義を感じて書いているのではないのですが、全ての事案に対して、後手後手に回っている様に思えてならないのです。首相が何も言うことなく、官房長官が影の総理であるかのような表現が最近マスコミを騒がせています。
不慣れな政府が、官僚の手続きにこだわる運営に、ついていけないような気がします。ある意味役人は公務員ですから、公的な内容として全てを取り扱うわけです。本来の意味において官僚的にならざるを得ないのです。限りなく手続きにこだわります。これらの官僚が法のもとにあるのか、人のもとにあるのか議論の分かれるところでありますが、いずれにせよ政府は、形式を重要視する役人の言いなりになっているように思えてならないのです。
つまり、意思決定をスムーズに行うだけの信頼関係が築かれていないのです。政府と役人は疑心暗鬼になり、お互いの不信感は益々膨れ上がる一方なのです。そのような関係で事がうまくゆく筈はないのです。
政府の役割は、国にとって重要かつ意味ある意思決定を行うことであるのです。社会のエネルギーを結集するところでもあるのです。つまり、的確に問題を明示し、選択を提示することにあるのです。すなわち、統治しなければならないのですが、全てを後手に回るどころから、統治する能力が麻痺しているのではないかと疑うぐらい実行に移せていないのです。それは、相互の不信感から生じて来ている内容ではないかと考えてしまいます。今後も国内問題から国際問題に至るまで益々不信感が明白になってしまうのであろうと思うのです。
ところで、極真会館宮城県本部の場合、分権制度と言うべき内容を取っているのです。今日私達の道場が直面している問題をスムーズに処理してしまう能力があるのです。すなわち、統治することと実行にすることの問題に取り組んでいるのです。つまり、統治は私が行って最終的な意思決定を行うも、実行は現場の師範が率先して行っているのです。ここに、信頼関係という深い絆がなければ、分権はもろくも崩れてしまうのです。
宮城県本部の場合、統治と実行の両者を分離して、最終的な意思決定を私がし、師範が実行するという形態が確立しているのです。今後の問題も大きくのしかかってくるのですが、クリアできる土壌があると確信しているのです。