2010年10月21日(八段語録1105)

これからの極真会館の運営
指導者はサラリーマンではなく、運営者である

今までの極真会館は親方日の丸のようで、大山総裁の威光の中で何の努力もなく、多くの道場生が群れをなして集ってきたのです。ところが、総裁が亡くなってからは、道場運営に一代変身を遂げる事態となってきたのです。この変身は、顕著になって今も続くどころか、更なる変革につながっているのです。
道場組織の維持と拡大は、かつて、師範が殿様商売の如くただ威厳を誇り、空手の技術を指導すればいいということだけだったのです。
しかしながら、今や師範を始め指導者は、道場生に対する教育というサービスを重要視しなければならない転換期にさしかかったのです。それは、これからの青少年に対する思いやりであり、的確な指導なのです。この思想は、宮城県本部の極真会館での発明であり、もっぱら、ただ見てついて来なさいという事からの脱却なのです。それは、指導者の意識を変えるのです。それだけでなく、指導者という根幹さえ変えてしまったのです。
師範の道場での指導、教育、運営は、いずれもささやかなものですが、コンセプトが革命的なのです。師範の役割を空手の指導者から極真会館の運営者に大きく変化させたのです。教育をするということが師範の手に渡り、運営することが当たり前になったのです。
更に、道場生の心の悩み、両親の子育てに関しての悩み等、あらゆる心理面でのカウンセリングは、空手道場の領域を超えて、プライバシーの問題から社会問題に至るまで、解決しようとする意思の表れなのです。
これらのことは、指導者が適切な実行者にならなければならない事の提言であり、これから益々求められてくるスキルなのです。それ故、指導者は空手だけ指導ができればいいというサラリーマン的は発想は、もう既に時代遅れであり、新しい極真会館の開拓にはついていけないのです。