2010年10月19日(八段語録1103)

これからの極真会館の運営
代表師範が大金を懐に入れる体制は道義的にも許されないこと

私が支持するのは家族社会です。能力のある人も、少し、劣るのではないかと思われる人も家族的に、お互いが尊重することなのです。今現実的には、さほど、うまく機能しているとはいかないまでも、他の団体よりましであると思っているのです。
私は、普通の会社組織に対して、重大な疑念を抱いているのです。経営者と一般従業員の所得格差が20倍以上にもなっている企業が少なくないのです。ましてや、公務員に至っては役人の公益法人に対する天下りなど、二年や三年で一億以上もの退職金を支払われるなど言語道断というべきものです。
もし極真会館を利用して、経済活動を最終目的としているならば、もう既に、私は極真会館を閉めているのです。私が、体制を維持して、私達の目的がなんであるかを真剣に考えてしまいます。余りにも一次元になりすぎたとしたら大変なことになるのです。
もちろん、最低限度の生活ができるものでなければならないことは当然ですが、代表師範の私が、道場内の所得格差が何倍もなっているとするならば、それは、許されるもんではないと感じるのです。当然、武道を追及するのでありますから、利潤追及を積極的に追及するものではないのです。あくまでも、青少年の健全育成の為の歩みなのです。
もし、所得格差の拡大が、横行するようになれば、怒りとしらけが蔓延するのです。代表師範が、大金を懐に入れつつ、何もしないようであるならば、社会的にも道義的にも許される筈はないのです。もしそのような行為がまかり通るならば、極真会館に、もたらす怒りとしらけは、必ず高い代償を払うようになると思うのです。
要するに、人間として生き、人間として処遇されるということの本質は、金銭的な計算では表すことが出来ないのです。金銭という近視眼的な基準が、人生と生活の全局面を支配するということは、許されることではないのです。
それ故に、私は、金銭を自由にするポジションを他のメンバーに委ねているのです。誰もが納得して極真会館の目的を推し進めていく体制を整えることに一生懸命なのです。ある意味で公金を使うということは、責任を伴うことであり、真剣なことなのです。
私の歩みを振り返って見ても、この道場で多くの子供達が育っていく環境を築く為に必死でした。自分の報酬など省みず、投入に投入を重ねてきたのです。誰かが、日本の伝統精神を伝えなければならないのです。その環境と人的組織作りに全てを投入してきたのです。
これからも、その精神は続くのです。生涯かけて歩んで行くのは、この武道精神を多くの子供達に伝えて行くことなのです。もちろん、わたし自身も、この精神を磨き、血肉として行くのです。それ故、戦いはこれからも本気なのです。