2010年10月4日(八段語録1088)

これからの極真会館の運営
正しい姿勢

何が受け入れやすいかではなく、何が正しいかに重点をおいてスタートしなければならないのです。誰が正しいかという事では無いのです。会長が言った事が正しいとは限らないのです。それ故、私はなるべく書き記すのです。理由は、言った言わないという事で消耗したくはないし、言葉の言い争いはしたくないのです。
今回会長は、手塚グループの将来について語られているのです。その主要な内容は、本当のグループを作る為に妥協もしてきたというのです。今までの妥協は、ある意味ではお互いの為になるのではないかという配慮であったのです。つまり、一切れのパンを二つに分けるごとく、共生、共栄の為の配慮であったのです。
しかし、今年の一月に倒れ救急車で運ばれ、一命をとりとめたのです。それからの会長は、妥協についてソロモン裁判で親を裁くかのようなのです。二人の母親が子供の親権を争うときに、その判決は子供を二つに分け合いなさいという事でした。二つに子供を分けた場合には、子供の屍しか残らないのです。そして、泣きながら子供を譲った親に親権をあげたのでした。日本にも大岡裁定という同じ内容の事があります。
ソロモンの判決と同じく、妥協できない事もあるという意識に会長が至ったのでした。5月の指導者の合宿で方針を出し、それでもなかなか進まぬ現場にこの時に及んでなすべき事は決断であるというのです。これからの、会長の方針について来る者だけで組織を運営するという事の方針なのです。
これから、今までの一緒に歩んできた県本部長と一人一人と話し合うという事を宣言し始めておられます。今後の手塚グループの将来を決する覚悟での指導が始まるのではないかと思うのです。
さらに、この手塚グループにない側面もカバーしなければならないのです。あくまでも自分の事を中心に考えて行くならば打つべき手も打てないのですが、将来大きな団体として社会に貢献することを考えるならば、推し進めていかなければならないこともあるのです。
会長は、がっちりとかみ合った組織に、さらに大きな規模での展望を考えているのです。会長が理想とするところまで勝負しなければならないのが、事務局長の立場の師範であることは間違いないのです。もう既に、最前線での闘いを最大活用して純粋なまでに高めて理想へ向かう戦場に向かう武士として、戦う時が来ているのかもしれないのです。