2010年10月1日(八段語録1085)

これからの極真会館の運営
いかに難しくとも完璧の追及

 極真会館の最高の繁栄はいつですかと聞かれたら、師範は未来と答えざるを得ないのです。今が繁栄の最高時期とは思えないし、未来に限りなく広がっているという事を感じざるを得ないのです。今日から10月が始まります。はぐらかしているわけではないのですが、師範の完全の追及は始まったばかりなのです。
 八段語録も千日で終わるつもりでありましたが、大山総裁の声が聞こえてくるのです。「千日を持って初心とし、万日をもって極みとする」というのです。この声は、自分を奮い立たせるのです。余りにも鮮明に聞こえてくるものですから、もう既に二千日への道のりを歩み始めているのです。
 毎日が闘いであり、それも蓄積された闘いであるという事は言うまでもないのです。そして、これまでのどの文章よりも優れたもの、重要なもの、そして完璧に近い物としたいという要求が高鳴るのです。
 そして行間に潜んでいる内容こそが、重要なメッセージであり隠れた情報の発信なのです。私の歩みの根底は、お天道様が見ているという格言にあります。誰がどのよう私の事を評価しようが、神々が常に見ているという事なのです。誰もが一方的な評価しかしないものです。
 まさに、自分の物差しで見つめるのですが、前面にしか見えない人はそれだけなのです。それ以上に、天倫の奥義に隠された見えない部分まで見つめている人はどれだけあるかというのです。
 師範の闘いは、誰も未だ見つめたことのない隙間を垣間見てきたのです。まさに誰もが経験したことのない道を極め、それを現実の勝利圏に投入してきたのです。ですから普通の社会経験をしている人とは思いもよらぬ発想をし始めるし、それを結果として表現してしまうのです。
 多くの人々は、師範の見えるところしか評価しないし、隠された秘密の分野まで掘り下げようとは思わないのです。話せば、きりがない事なのです。総本部時代には、地下にある直径が一メートル以上のサンドバックを叩きながら塩をなめながら、一日中続けてきたとか、北海道の厚別の滝では、零下20度の滝つぼの中水に打たれ修行したとか、隠された秘伝だらけなのです。
 そこで、師範の信念としては、いかに難しくとも、空手道で完全を求めていくという事なのです。本格的は今日から今の弟子と昔の三十年前の弟子の取り組み方です。その比較対象なのです。私の若き日の無茶苦茶な指導を受けた弟子と、四十歳後半に円熟味を受けて指導を受けた弟子との競争という事になるのです。それも、頼もしい限りです。