2010年9月30日(本部長通信1084)

これからの極真会館の運営
個としての仕事ぶりと全体への貢献の双方を評価する評価システムが必要

 誰でも評価は必要です。ですが、いかなる評価システムにも間違った方向つけする恐れがあるのです。支部長として任命して、その責任を果たせず、評価だけを求める人が
現れたら極真会館として示しがつかない事を自覚して欲しいものです。
 とくに報酬は、極真会館における位置づけも表します。仕事に対する評価であり、その人に対する敬意を表すので、価値も伴うのです。しかし、それがなし崩し的に、正義
、公正、平等という観念が情緒的になったとしたならば、極真会館の伝統が崩れてしまうのです。
 金銭は定量的であります。ですが、評価システムにおける金銭は、価値と質という無形な微妙なものを現すのです。当然、報酬システムは科学的公式などあり得ないのです
。例え最善を尽くしたと自分が思ったとしても、極真会館の内部における様々な機能と意味合いと妥協の産物たらざるを得ないのです。
 最善の評価システムとしても、組織を強化する半面弱体化し、正しい方向付けをする反面間違った方向付けもし、正しい行動を奨励する半面、間違った行動を奨励するとい
う事になりかねないのです。
 したがって、評価のシステムは単純にしなければならないのです。公式を押付けるものよりも、判断を動かす余地のあるもの、個々の立場に応じられるものにしなければな
らないのです。
 師範が気にすることは、評価システムが間違った行動を奨励し、間違った成果を重視し、共通の利益から離れる事がないようにすることだけなのです。自分で納得し、話し
合った結果を覆す場合、その内容の弁明は必要なのです。
 今、宮城県本部の責任者は菅野師範が運営しているのです。私は追認するだけなのです。そこで、支部長は、菅野師範と良く話すべきであり、私を楯にすることではないの
です。今後、どれだけ宮城県本部に責任を持って行こうとするのか、さらに、新しい体制を何処まで支えようとするのか、はっきりさせた立場で報酬を考えるべきであろうと
思うのです。