2010年9月29日(本部長通信1083)

これからの極真会館の運営
責任者の錯覚を恐れよ

 三人の指導者のタイプがあるのです。三人とも空手道を追及し、しっかりした内容も備えているのです。技術的にも人間的にも魅力を持って誰からも慕われていたのです。
そこで、私はその指導者に、何のために空手に携っているのかということを率直に問いかけたのです。
 それぞれが、話してくれました。一人目は、暮らしを立てるために空手を指導しているというのです。二人目は、空手の指導が自分の天職であると思えたから指導している
というのです。三人目は、この道場で社会に役立つ人材を育てたいから指導しているという答えでした。師範としては、三人目の指導者こそ、真の指導者のような気がするし
、好きなのです。
 一人目の人は、空手で何を得ようとしているかを知っており、事実それを得ているのです。一日の報酬に対して一日の仕事をするのです。だがそれは、断じて指導者ではな
いと思うのです。将来も指導者には成り得ない人物という結論を出してしまうのです。
 問題は、第二の指導者なのです。空手道の指導には確かに、熟練した専門能力は不可欠であり必要なのです。確かに道場は、最高の技術力を要求しなければならないし、そ
れがなければ二流以下の存在になってしまうのです。ここでの第二の指導者は、多くの道場生を一流の選手に育て、さらに道場生を増やすのです。それを重大な事をしている
と錯覚しがちなのです。
 師範は、特に強調する事は、専門能力を強調しなければならないと思うのですが、それが、全体のニーズとの関連においてでなければならないと主張するのです。つまり、
道場の方向性と全スタッフからの貢献をする事ができる能力を身につけなければならないという事なのです。
 全体の方向、道場の核心に迫っていく捉え方をする人物の出現なのです。すなわち三人目の人物の在り方を師範は願うのです。道場の核心に迫る指導者がどれ程多く存在す
るかが、これからの極真会館の底力になるのです。この発想についてくる事ができる指導者こそ最後まで生き残る事ができ、決して、自己中心的指導者として忌み嫌われなく
ても済むのです。