2010年9月25日(本部長通信1079)

これからの極真会館の運営
外部に向けた五感があるのか

 極真空手が外部からどれだけ認知されているのか、どのぐらい必要とされているのか、他の流派とどのぐらいの違いと進歩があるのか、競争状態はどのようになっているの
か、オリンピックに見る政府政策とどのように合致しているのか等、地域社会という外部世界についての情報の構築を図らなければならないと感じるのです。
 極真会館はあたりまえに、地域社会に貢献するために存在しているのです。当然、私達の評価は地域社会から評価されるのです。その評価は、地域社会という組織の外部が
するわけなのです。私達を存在させようとするのも、させないのも地域社会という外部なわけなのです。
 私達が存在するためには、グループがもたらす費用面の運営や削減や地域からの収益によってコスト管理をする事であるのです。経済が破局を成した場合には、コスト・セ
ンターは消滅してしまうのです。そこで、地域社会という外部との関連性が生命線になるわけなのです。
 その意味では、地域社会といえども、私たちからするならば信頼に足るどころか、適切な処置をしてくれるとは到底思えないのです。今事務局を中心として、宮城県本部内
の現象、事象、データについて惜しむことなく分析が行われるようになってきました。実にありがたいことです。
 しかし、それでは当然、成り立たない事は、百も承知なのです。つまり、起業家的努力と効率を記録して、定量的に把握する事がどれだけ必要になって来るか肌で感じると
ころなのです。どれだけ、外部に関して、鋭い感覚器官を持って、運営活動を実践していくかという事がメインにならなければならないのです。
 社会が受け入れてくれない状況になっているのでは、いかに内部が良き設計をしても、価値は見出されないのです。極端でありますが、躍進を遂げるには、内部的な設計や
効率を重要視するよりも、起業家的発想を重視して地域に浸透しなければならないのです。組織の内部に比べ、外部に成果を現すという起業家的発想は、困難を極めるのです
。その意味では、どんな事があっても地域社会という外部から隔離孤立してはならないのです。チャレンジという事はここに意味と価値があるのです。
 したがって、今日の手塚グループの必要としていることは、地域社会という外部に向けた感覚器官なのです。データを分析するのも、この地域社会という外部に向けた感覚
器官を研ぎ澄ますところに最大のポイントがあるのです。