2010年9月23日(本部長通信1077)

これからの極真会館の運営
データの意味とマネジメントへの信頼

 今考えているのは、データを再検討しなければならない事と、人間関係を整理しなければならないことなのです。極真会館という全体目的の下に、個人が存在し、その個人が最大限に生かされる状態が必要な事は前に述べていますが、その事は、情報処理能力の増大とマネジメントのあり方という事になります。
 確かに、組織が大きくなると情報量が多くなります。スタッフに任せて放任していくと考えられない方向に行ってしまうのです。それゆえ、その情報量をマネジメントに結び付ける努力をしていかなければならないとう事なのです。データはあくまでも目的に対する手段であり、目的はマネジメントそのものでありますから、意志決定に本格的に参与しなければならないという事になります。
 マネジメントにおけるデータの忘却は、致命傷になります。データの情報が正しく翻訳されない限り無意味という事になります。スタッフは何をどのように行動しているかを確認する必要がある事は当たり前の事なのです。つまり、人間組織において、怠慢という状況は、もう一つの複雑さを呼び起こします。後で気がついて叱責しても話にならない事なのです。
 つまり、データに対して意思決定を正しく誠意を持って臨まなければ、不確実性が広がっていくのです。組織的活動の事象に対するマネジメントの反応は、しっかり誠実に注意深く見詰めていないと予測不可能な事態になってしまうという事なのです。
 そもそもデータの意味しているものは何か、その意味を分からずして取り組むとしたならば、組織の停滞も発展も判断のつかない事になるのです。 
 師範の今までの判断は、新規入門者に対する情報の収集です。どれだけの問い合わせがあって、どれだけの人が入門しているかを最初に検討します。そして教育段階を詳しく検討し、審査会と合宿の総合効果見つめなおします。さらに、大会に関してのデータも的確に総合的に把握するという過程を見つめてどのようにすべきかを検討するのです。