2010年9月19日(本部長通信1073)

これからの極真会館の運営
極真会館に挫折がない事はあり得ない

 師範の極真会館の歩みは、地方大会であろうと、全日本であろうと敗北は当たり前に付き纏ってきたのです。トーナメントに出場するという事は、厳しい競争にさらされるのです。それゆえ、選手生命という事を考えると、数年で極真のトーナメントという競争社会から弾き出され、いつの間にか、燃え尽きてしまう人達が多かったのです。
 その意味では、選手と言われる人たちが、闘い切ってしまうので、灰になって何も残らない人生を歩んでしまった人が多かったのです。何故なら、彼らはもうこれ以上の闘いは出来ず、自分の能力を自ずと知ってしまうのです。その時、選手として歩む事が全てであるとするならば、そこで終わってしまうのです。
 それゆえに、若いうちに、何か別な価値観を持つ事が必要になって来るのです。師範の場合は、教育でした。選手としてパッとしなくても、人を成長させ、育てるという事に関しては、非競争的生活であり、道場生とコミュニティを結び、夢中になれるものを手に入れる事が出来たのでした。
 これらの事は、極真会館の別の側面を呈していました。選手として競争とは関係なく、社会貢献と自己実現の場として構築していったのでした。教育は私にとても似合っているのです。人を育てる事を無上の喜びとして味わう事ができ、無限な喜びを感じる事が出来たのでした。 
 極真会館で空手道を歩んでみて、挫折がなかった事は、あり得なかったという結論なのです。絶えず、社会においていかれているという焦燥感があり、決して社会のエリートコースを歩んでいるという内容ではなかったのです。社会に通用する人生を送ってきたかというならば否としか言いようがないのです。
 それでも、もう一つの才能を師範は備えたのでした。それが教育であり、多くの優れた人材を育てるという事なのです。これも立派な極真会館の仕事なのです。どんな事があろうとも、自分にプレッシャーを感じる分野と、無縁な分野を用意すべきであるという事を余りにも強く感じてしまうのです。