2010年9月9日(本部長通信1063)

これからの極真会館の運営
役割にエリートコースは無くなった

 もう既に、自分の責任において、自らのキャリアを決めていく時代に入っているといっても過言ではないのです。かつて
は、ある程度、大学を卒業して、一流の企業やキャリアの公務員を目指す事によって、社会的指導者を目指すというコース
があったのでした。
ところが、かつての会社人間、あるいはキャリアの公務員にとって代わり、新しい人物像を要求されているのです。今の時
代は必要以上に要求しているようです。価値観が多様化し、様々な分野が用意されているのです。そして、その中でも、そ
れらの人物像は、組織をリードし、自己の責任のもとに生きる人達の出現を願われているのです。すなわち、自らの役割を
自ら決める人達の事なのです。
 これからの時代は、明日、自分自身が何をしているか想像できない時代に入っている事は間違いないのです。どんな分野
で役割を演じているか全く分からないのです。したがって、未来に生きようとする私達は、自分を知ることに責任を持たな
ければならない事になるわけです。
 すなわち、自分の進歩を最大限のテーマにしなければならないし、個人の確立を目指す事に応じ、あるいは、家族として
営む事が出来る状況に応じ、的確に自分のキャリアに応じて、役割を演じていかなければならないのです。
 しかし、現実は、役割を選択出来ている若者は驚くほど、少ないのです。自分の能力を的確に把握する事が出来ず、自分
の才能を磨く事もせずにいるのが現実なのです。あらゆる社会の役割を知識で知っているだけに過ぎず、それを傍観者のよ
うに眺めているだけなのです。
 ハローワークに通い、再び社会復帰に臨む若者を見ても、履歴書を、羅列するかのように経験した地位を階段のように列
挙しているに過ぎないのです。ある意味は、自分は何をしたいのか、どのような役割を演じたいのか、自らのキャリアを羅
針盤のように決めて歩む時代が未だに気づいていないという事なのです。
 師範は、このように時代で、空手道という修行を通じて、気迫溢れる、集中して何かに取り組めるという個性を、道場生
に表現しようとしているのです。修行の結果、道場生、の中に強みを見出すのです。そして、今の価値観が入り混じってい
る時代に、逞しく生きる事が出来る人物像を覗かせるのです。
 はっきり今の時代を分析すると、もう今までの既成の階段は無くなったのです。縄梯子もないのです。ただ蔦が生えてい
るだけなのです。必要なのは何か考えてください。