本部長通信105  2008年2月28日

精神修養


 最初に空手を学ぶ動機は、風邪を引かない体に育てたいとか、いじめにあわないようにしたいとか、強くなりたいとか様々です。最初は自分の課題を中心としてきますが、その課題が解決されると思うと、安心してしまう人が多いのです。自分が目的を果たし心地よい感覚を持てばそれで終わりでは、精神修養にはなりません。

 空手は人生を歩む上での精神修養であると思うのです。稽古で師範に指摘されたり、先生方に指摘されたりします。それは自分の内的弱さであり、私たちが抱えている課題でもあるのです。指摘されて、つらく思うこともあるのですが、その課題に直接向き合うことが重要になってきます。 

 指摘されて、自分で治そうと思わなければならないのです。その意味では、道場生は一人一人名医でなければならなくなります。直してもらうのではなく、先生方の指摘を受けて自分が医者になるのです。問題の原因をしっかり自分で見つけていかなければならないのです。課題を確認して修正する精神修業を続けなければならないのです。

 稽古を続けていると、課題がはっきりしてきます。最初は技術的なことですが、だんだんに内面的な分野へと移行していきます。そして、自分の課題がまさに重病人であることが判明するのです。最初は驚きをもって否定します。しかし、稽古を通じて自分の解決法を発見するようになるのです。 

 稽古で課題を認めた道場生は、逆説的ですが、より多くの自由、弱さを見て正していこうとする気持ちを獲得するのです。師範は、それを最大限期待するのです。

 

 師範稽古 移動膝蹴り40分 突き40