2010年7月22日(本部長通信1010)
何故師範となったのか(3)
極真会館の門を叩いてみて、すぐに感じたことは、厳しい修練であるということでした。特に組手は凄まじく,私の肉体に打撲どころではく、生傷が絶えない日々となってきました。
このことは、私にとって自己管理を徹底させるうえで、貴重な体験になったのです。つまり、自己管理について、しっかりとした厳しい認識を始めたことになるのです。自分に対する管理なのです。
厳しい稽古は、自分を管理する能力を啓発するように思えたのでした。そして、結論を得たのでした。真摯に人生に打ち込むことを学んだのです。理由は簡単です。真面目に、練習した分強くなるのです。そこで、学んだことは、真摯に何事も実践するということでした。
この頃、人間関係にも少なからず悩んでいましたので、愛想を良くする技術や、人の為に実践すること、人付き合いの良さを重視していましたが、それでは、十分ではないと思えたのです。
事実、組手をすると本音がすぐに現れます。組手では、手をとって助けることもせず、とっつきにくさを全面に出して、気難しく、強さ故に尊敬を集めているのです。つまり、一流の選手なのです。一流になることを決意し、稽古を誰よりもこなし、稽古の水準を高め、何が正しいかを追求して行くのです。理論理屈よりも、真摯に取り組んで行っているのです。
このような資質を欠くものは、途中で挫折して、最後まで残らないのです。有能であろうと、聡明であろうと何ら関係のないことになって行くのです。
つまり、私は極真空手の組手を通じて、ほとんど教わらなくても学ぶことができる能力を追求して行くことになるのです。それは、才能ではない真摯さなのです。
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