2010年7月20日(本部長通信1008)

何故師範となったのか
はじめに


極真会館宮城県本部の師範になったのは、48歳の時でした。それは、このままでは,どうしようも無いという焦燥感からであったのです。ほんのすこし前までは、師範代で構わないと思っていたし、ボランティアの延長のように考えていたのでした。その意味では、極真空手を楽しく趣味としてライフスタイルに加えればいいのではないかぐらいの調子でした。
それまでは、道場を開いて運営するなどということは、考えてもいなかったのです。
ところが、思いもよらない事態を抱えたのでした。中途半端でありましたが、社会的にステータスを求めていたので、大学院ダブルマスターという立場で、税理士になろうと考えていたのです。実際に税理士の方々にお会いした感想は、あくまでも企業のアシスタントであり、協力者のような人がその様な仕事についていたのです。つまり、主体性の強い私にとっては、経営者である会社の代表という立場の人とうまくいく自信を持つことができなくなっていたのでした。
税理士のへの夢は、自分の個性が現場の仕事をしている人達とのギャップがあまりにも強くあったので、断念する方向に傾いたのでした。それは、大学院の一年生のときにすでに決断していたことになったのです。
そして、心をよぎったのは、個人から出発した極真空手道を世界と結びつけて生涯を終えたいということでした。個人から世界へ自分の歩みから出発して世界を巻き込んで人生を終えたいという衝動が走ったのです。それは、夢などというあやふやなもんではなかったのです。渇望であり、明確な目標にしたのでした。
しかし、その様に決めたものの、どうして実現して良いのか、具体的なアイデアがあるわけでもなかったのです。
そして、師範になったのでが、どうやったら町道場ではなく、世界と連結できる団体を形成して言ったら良いのか、本気で考えたのでした。そう決めたからには、すぐに行動に移したのです。
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